J-POP
あらまし 岡村孝子のデビューアルバム「夢の樹」は、1985年にリリースされました。このアルバムは、彼女のソロアーティストとしてのキャリアのスタートを飾るものであり、彼女の独特な音楽スタイルと感性が詰まっています。 あみんで世間の注目を浴びたもの…
岡村孝子のコンサート風景 2024年も残り2か月となりました。岡村孝子さんは、例年この時期に"Christmas Picnic"と銘打つコンサートを開催しますが、今年も3回開催予定となっています。今回は日程とおすすめホテルの紹介です。 OKAMURA TAKAKO Special Live …
伸びやかで、しっとりとした歌声。心に沁みるようなせつない旋律、浮き立つようなメロディー。そしてふっくらとしたやさしい面影。下成佐登子は「きらめく風のような妖精」です。
石川優子さんの現在 時折テレビやラジオなどでヒット曲が流される石川優子さん。2021/12にNHK-FM Radio 80,90に出演されて以来、現在どうしておられるのでしょうか。いろいろと調べてみたのですが、結論から言うとわかりませんでした。ネット上でも情報がな…
「ピエロ」のあらまし 岡村孝子の「ピエロ」は、彼女の代表的な楽曲の一つです。1985年にリリースされたアルバム『夢の樹』に収録されています。「ピエロ」は、女性の健気な気持ちや切ない恋心を表現しており、アップテンポのメロディーと悲しい歌詞が対照的…
リズミカルながらも陰のある名曲 1985年10月19日にリリースされた岡村孝子のソロデビューシングル「風は海から」。この曲は彼女の1枚目のアルバム『夢の樹』にも収録されており、FM横浜のキャンペーンテーマソングとしても使用されました。当時彼女は22歳。…
まだ暑い日が続いていますが、着実に朝晩は秋の気配を感じていることでしょう。 秋に聴くしみじみとする曲 こんな季節に、聴きたくなる曲を今回は2曲ご紹介します。どちらも、あえて分類するとすれば、フォークなのかなと思いますが、しみじみとする名曲です…
今回は、石川優子さんがチャゲについて語ったことです。(2021/12/30のNHK-FMより) 応援し合っていた 『(チャゲさんは)私と同じ事務所でしたね。80年代、顔を合わせるともいつもギャグを言ってね。面白い。
相曽晴日の原点 「コーヒーハウスにて」 コーヒーハウスにて 静岡県浜松市出身のシンガーソングライター、相曽晴日。彼女の透明感のある歌声と心に響くメロディーは、多くの人々に愛されています。そんな彼女の音楽の原点とも言える「コーヒーハウスにて」は…
シンデレラサマー 夏の幕開けを知らせる曲 石川優子 シンデレラサマー 梅雨が明けると、いよいよ夏がやって来ます。若い時は、夏というと長い休みの時期ですし、出かける機会もあり、何かと楽しくてうきうきしていましたね。今はどうなのよ? と言われますと…
石川優子のCD Nuance #ad 石川優子さんは1990年に引退 石川優子さんは、1990年7月のファイナルコンサート「愛を眠らせないで」を最後に、音楽活動から正式に引退しました。音楽活動から退き、メディアとの関りもなくなりました。その後、彼女自身が話したよ…
石川優子さんが23歳の時に書いたエッセイ「夢色気流」。当時の石川優子さんが、どんなことを考えていたのか、どんな夢を持っていたのか、楽しいエピソードもいろいろ書かれています。そんなエッセイから見た「石川優子」の人となりをまとめているのですが、…
先回、岡村孝子の名曲「潮の香りの中で」を紹介しましたが、今回は彼女の初エッセイ「夢みるころを過ぎても」を紹介します。先回はこちら➤ fukinto.com 岡村孝子の初エッセイ あらまし 岡村孝子のエッセイ「夢みるころを過ぎても」 1993/12初版発行 TOKYO FM…
6月といえば、"June bride" 結婚や花嫁のことがイメージされます。ふだんはそれほど意識していないのですが、今年は6/1にNHKのラジオを聴いていたら、この曲がかかったのです。「花嫁」という曲。「はしだのりひことクライマックス」というグループがリリー…
忘れられない名曲 今回ご紹介するのは、岡村孝子の「潮の香りの中で」。女性が潮の香りの中で、去っていく男性に発している内面の声。切ない気持ちを忘れな草に託しています。 www.youtube.com あらまし 1983年4月に発売された、あみんの「P.S. あなたへ」に…
石川優子さんが23歳の時に書いたエッセイがあります。「夢色気流」。 第一回は、その本の紹介と「幼い日々」でした。 第二回は、「音楽や人との出会い」 第三回は、「ラジオのパーソナリティ」 そして今回は、「試行錯誤」です。 試行錯誤とは いろいろな方…
オフコースとは オフコース (Off Course) まちがいなく1979-82あたりは、日本の音楽シーンのトップにいました。リーダーであり、グループの中心的な存在だったのは、ご存じ小田和正。現在も、元気に歌い続けています。オフコースは1969年にフォークデュオと…
石川優子さんが23歳の時に書いたエッセイ「夢色気流」。 第一回は、その本の紹介と「幼い日々」でした。 fukinto.com そして第二回は、「音楽や人との出会い」 fukinto.com 今回は、「ラジオのパーソナリティ」です。 彼女が、ラジオのパーソナリティとして…
今の季節に合う言葉 今の季節に合う言葉、イメージを考えていましたら、「なごり雪」が思い浮かびました。もう春になっているのに降る、季節外れの雪。旅立つあなたと見送る僕に悲し気に舞い落ちる。実はこの「なごり雪」という言葉、フォークソング『なごり…
石川優子の若い時のエッセイ「夢色気流」とは 本のタイトル 夢色気流 風にまかせて 1981年9月発刊ワニブックス(新書版) 石川優子の若い時のエッセイ「夢色気流」の表紙 あらまし シンガーソングライターの石川優子さんが23歳の時に書いた自叙伝的なエッセイ…
石川優子さんが23歳の時に書いたエッセイ「夢色気流」前回は、その本の紹介と「幼い日々」でした。 fukinto.com 今回は、その続きで「石川優子と音楽、そして人との出会い」です。 石川優子と音楽の出会い 小学校4年生から始めた合唱 石川優子さんが、音楽を…
一年間まかせてくれ 二回目のフォーク音楽祭。全道大会に進んだ千春。態度が悪いのが災いして全国大会には進めませんでした。しかし、審査員の一人、竹田健二さん(STV 札幌テレビ)は千春の原石のような素質を認めていました。他の審査員たちに「一年間、とに…
(この記事は6/12の分に書き足したものです。) 二回目のフォーク音楽祭に出場した千春。帯広大会、札幌大会と予選通過し、全道大会に進みます。残されているのは10組。この中の2組が全国大会出場です。 パトカーに先導されたニッカーボッカー 足寄から車を運…
二回目のフォーク音楽祭 前回の記事に書きましたが、千春は初めて出場したフォーク音楽祭、帯広大会で見事落選。オリジナルソング「旅立ち」はまだ認められませんでした。さて、二回目はどうなったのでしょうか?帯広大会では審査員・竹田健二さんの批評は「…
北見~足寄 高校を卒業したあと、北見で働きづめの生活を一年間送った千春。 北見時代の様子はこちら fukinto.com 昭和50年(1975)4月、千春は再び足寄に戻ってきました。歌うことに飢えていた千春はフォーク音楽祭に出場します。 竹田健二さんとの出会い 「…
朝から夜中まで働きづめ 足寄高校を首席で卒業した千春。首席なんだから、進学するとか地元の企業か役場に勤めるという選択肢もあったのでしょうが、千春は一年間、北見にいる叔父さんの所に住みながら、朝から夜中まで3つの仕事をこなすというハードな毎日…
" data-en-clipboard="true">小学6年で岡林信康のプロテストフォークを生で聴き、衝撃を受けた千春。中学・高校はどうなるでしょうか? 松山千春の自伝「足寄より」の引用とまとめです。 前回の話はこちら fukinto.com 足寄中学校時代 『岡林信康さんの影響は…
松山千春 「足寄より」 を読んで 松山千春の「足寄より」は、1979年に出版された自伝。松山千春が北海道の足寄町で生まれ育ち、歌手になるまでの23年間を綴った作品です。 著者・松山千春のプロフィール 昭和30年(1955)12月26日生まれ。現在67歳。北海道足寄…
富澤一誠 「あの素晴らしい曲をもう一度 フォークからJポップまで」 新潮新書 2010 著者プロフィール 富澤一誠(とみさわ いっせい、1951年4月27日 - )は、日本の音楽評論家、放送作家。長野県須坂市のご出身です。 1971年、東京大学文科三類を2か月で中退…
なぎら健壱さんがNHK-R1の名曲遺産でフォークについてたっぷり語ってくれました。今回はその5回目、最終回です。前回は、「フォークソングの夕べ」に出かけて、カレッジフォークからプロテストソングに転向したという話でした。 fukinto.com さて、今回はそ…