J-POP
朝から夜中まで働きずめ 足寄高校を首席で卒業した千春。首席なんだから、進学するとか地元の企業か役場に勤めるという選択肢もあったのでしょうが、千春は一年間、北見にいる叔父さんの所に住みながら、朝から夜中まで3つの仕事をこなすというハードな毎日…
" data-en-clipboard="true">小学6年で岡林信康のプロテストフォークを生で聴き、衝撃を受けた千春。中学・高校はどうなるでしょうか? 松山千春の自伝「足寄より」の引用とまとめです。 前回の話はこちら fukinto.com 足寄中学校時代 『岡林信康さんの影響は…
松山千春 「足寄より」 を読んで 松山千春の「足寄より」は、1979年に出版された自伝。松山千春が北海道の足寄町で生まれ育ち、歌手になるまでの23年間を綴った作品です。 著者・松山千春のプロフィール 昭和30年(1955)12月26日生まれ。現在67歳。北海道足寄…
富澤一誠 「あの素晴らしい曲をもう一度 フォークからJポップまで」 新潮新書 2010 著者プロフィール 富澤一誠(とみさわ いっせい、1951年4月27日 - )は、日本の音楽評論家、放送作家。長野県須坂市のご出身です。 1971年、東京大学文科三類を2か月で中退…
なぎら健壱さんがNHK-R1の名曲遺産でフォークについてたっぷり語ってくれました。今回はその5回目、最終回です。前回は、「フォークソングの夕べ」に出かけて、カレッジフォークからプロテストソングに転向したという話でした。 fukinto.com さて、今回はそ…
今回は、なぎら健壱さんが名曲遺産でフォークを語るの4回目です。 演歌の由来 話がなぜか演歌の由来に向かいます。演歌というと、北島三郎さんとか八代亜紀さんとか、その辺を皆さん思い浮かべると思いますけれども、元々は違いますね。演歌と言い始めたの…
4/13になぎら健壱さんがNHKラジオR1にゲスト出演。「フォークとはなんぞや」をたっぷり話されました。 これまでの内容 前回までの内容は、① アメリカのカレッジフォークが日本に入って来ました。それに影響されて人気を博した音楽を批判した高石ともやの登場…
4/13、NHKラジオR1にフォークシンガーのなぎら健壱さんがゲスト出演されました。前回はフォークがアメリカのカレッジフォークからやって来たというお話でした。 fukinto.com 今回は、高石ともやと岡林信康に関してなぎらさんが話したことです。 高石ともやの…
石川優子さんの現在 時折テレビやラジオなどでヒット曲が流される石川優子さん。2021/12にNHK-FM Radio 80,90に出演されて以来、現在どうしておられるのでしょうか。いろいろと調べてみたのですが、結論から言うとわかりませんでした。ネット上でも情報がな…
NHKラジオR1にフォークシンガーのなぎら健壱さんがゲスト出演されました。パーソナリティの六角精児さんの大先輩にあたる方です。4/13は六角精児さんが9時台までの出演だったため、10時台はなぎら健壱さんの名曲遺産となりました。さあ、どんな隠れた名曲、…
2023/2/11にNHK-R1で放送された「グレープ ありがとうラジオ」から 今回はその4回目です。二人のハモリはどう進化したのか、二人がどんなプロセスで曲を共同で作ったのか、が楽しく語られます。 進化したハーモニー 「うたづくり」と「夢の名前」が流されま…
2023/2/11にNHK-R1で放送された「グレープ ありがとうラジオ」から 今日はその3回目です。 吉田トレモロ 江崎 さださんのコンサートに吉田さんがゲストとして参加してね、それで「精霊流し」をされたことはあったけれども、今回グレープですって言って、演奏…
2/11にNHK R-1で放送された「グレープ ありがとうラジオ」とても楽しくて、フォークファンとしては、たまらない内容でした。それで、その内容をまとめてみました。今回は、その二回目です。 グレープの登場 《おはようございます。グレープのさだです。吉田…
グレープありがとうラジオより 2/11(土)の午前中、NHKのR1(ラジオ第一)で「グレープありがとうラジオ」という番組を聴きました。 「グレープ」というのは今から50年前に、さだまさしと吉田政美が結成したフォークデュオ。 ソロになってからのさだまさしの活…
今回は、石川優子さんがチャゲについて語ったことです。(2021/12/30のNHK-FMより) 応援し合っていた 『(チャゲさんは)私と同じ事務所でしたね。80年代、顔を合わせるともいつもギャグを言ってね。面白い。
今回は(4)「留学の思い出とプロレス」です。 留学の思い出 『本当に世界中からいろんな人たちが集まって来ていました。クラスメイトもさまざまな国のさまざまな年齢の人たちが集まっていました。それで、お互いにいろんな情報を、私たちの国ではこうだ、私た…
石川優子にとってですね。80年代というのは外に向かって駆け抜けた青春っていう感じがするんですけれども、私の90年代は・・・そうですね、 今度は自分の内に向かって生活を楽しんだ90年代っていうそういう感じかなと思います。
石川優子さんはこう語っています。 『私はデビューした年(1979)からアルバムを作ってまして、今までに15枚オリジナルアルバムを出したんですけども、大体年2枚のペースでオリジナルアルバムを作っていました。だから、その時はもう本当に猪突猛進っていうの…
伸びやかで、しっとりとした歌声。心に沁みるようなせつない旋律、浮き立つようなメロディー。そしてふっくらとしたやさしい面影。下成佐登子は「きらめく風のような妖精」です。
石川優子 1990/7に歌手を引退されていますが、いまだに根強い人気を持っています。きょうは80,90年代を振り返るNHK・FMの特別番組にパーソナリティとして登場。Twitterでは、なつかしいなあというつぶやきが多数聞かれました。 RADIO '80'90「石川優子」 - N…