ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

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松山千春 「足寄より」 北海道に生きるフォークシンガーの誕生④ 旅立ち

北見~足寄

高校を卒業したあと、北見で働きづめの生活を一年間送った千春。

北見時代の様子はこちら

fukinto.com

 

昭和50年(1975)4月、千春は再び足寄に戻ってきました。
歌うことに飢えていた千春はフォーク音楽祭に出場します。
 

竹田健二さんとの出会い

足寄より」を読んで初めて知ったのですが、このフォーク音楽祭への出場は、
この時が初めてではありませんでした。高校三年生の時も出場していました。
その時歌ったのが「旅立ち」。この時は初回の帯広大会で落選でした。
そして、二回目も「旅立ち」で挑みます。
この時の審査員がSTV(札幌テレビ)ディレクターの竹田健二さん
しばらく後に、千春が世に受け入れられるよう二人三脚を組むことになりますが、
最初の出会いの印象はお互いあまりよくありませんでした。

ギターが悪い

千春が「旅立ち」を歌い終わると、竹田さんは「ギターが悪い」と一言だけ。
千春はかっとして竹田さんに食ってかかります。
このあたり「足寄より」から少し引用しましょう。
『ギターの悪いのくらいわかっている。高校時代にバイトして買った五千円のやつだもの、いいわけない。俺は竹田さんに食ってかかったね。
「俺はギターの品評会に来たんじゃないんだ。歌の批評をしてくれ」
だけど、竹田さんはそれには答えないで、
「松山君、コピー曲を歌ってくれ」
しかたないから、風の「22才の別れ」を歌った。
竹田さんはそれっきり。これは落ちたと思った。
ま、いいやってなもん。』



ギターの質が悪かったのか、それとも千春の演奏?

かっとして審査員に食ってかかるあたりが、千春らしいですね。
わたしがずっと疑問に思っているのは、
この時竹田さんは、ギターの質が悪いと言ったのだろうか?
ということ。
千春のギターの演奏に難ありという意味で言った可能性もあるのではないかな。
しばらくして、ちゃんとしたギターを持つことになる千春。
たしかに、ギターの音もしょぼかったのでしょう。
音も演奏も両方悪かったのかもしれないですが。

札幌大会へ

この時、竹田さんが千春のギターと態度だけで判断していたら、千春は広く知られることなく、別の人生を送っていたかもしれません。
でも、千春は今回は帯広大会を突破し、札幌大会に挑むことになります。