ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

MENU

岡村孝子のエッセイ 「夢みるころを過ぎても」

先回、岡村孝子の名曲「潮の香りの中で」を紹介しましたが、今回は彼女の初エッセイ「夢みるころを過ぎても」を紹介します。

先回はこちら➤

 

fukinto.com

 

岡村孝子の初エッセイ

あらまし

岡村孝子のエッセイ「夢みるころを過ぎても」
1993/12初版発行
TOKYO FM出版
彼女がシンガーソングライターとして歩んできた10年間の経験や思いを語ったエッセイです。彼女は、これまでのこと、これからのこと、旅、本、音楽、映画、恋愛観、結婚観、女性と仕事についてなど、淡々と、静かに、しかし本音を語っています。彼女の経験した風景、エピソードを語っているこのエッセイから受ける印象は、多くの人が彼女から受ける印象と彼女の実像はかなり異なるということ。その一例をエッセイから引用しますね。

岡村孝子のプロフィール

1962/1/29生まれ(62歳) さだまさしに憧れてシンガーソングライターを目指す。1982年春、 ヤマハポピュラーソングコンテスト(通称ポプコン)に、加藤晴子とともにデュオ「あみん」として出場。「待つわ」 を歌い、グランプリを受賞。あみんの「待つわ」は、流行語・社会現象ともなりました。

岡村孝子の虚像と実像

デビュー当時の私って、なにやら”はかなげなイメージがあったみたいで、 未だに私はスポーツなんて全然やらないんだと思ってる人も多いみたいですね。 もっとも、あの頃はそういう”はかなげな"感じの写真とか撮影して、それ、 雑誌に載ってたから、私のそういうイメージが生まれたのも仕方ない。 自分で言うのもヘンだけど、サナトリウムから昨日出てきたみたいな、そんな薄幸の美少女って感じ(笑)。 私を学生の頃から知ってる人は、ぜんぜんそんなイメージないわけですよ。 私はスポーツが大好きで、すごく体が丈夫だってことをよく知ってる。なんか、そういうイメージの中にいて、私はすごく不思議でした。 「本当は違うんだけどなぁ・・・・・・」 でも、だからって、一人一人に説明するわけにもいかない。 ここはまあ、〝薄幸な美少女”っていうんでも、まぁいいっかぁ〜、みたいな感じ(笑)。そうして日々は過ぎていった。 でも終いには、そのイメージが窮屈に感じられたし、「もしかしたら、私は大嘘をついているのかもしれない」 なんて思ったりもしました。 ただ、一旦出来上がったイメージって、これがなかなか改まらない。 それに私は、コンサートで拳を振り上げたりはしないし、ステージで走り回るわけでもない。だから、コンサートを一回観てもらえば、普段の活発な私がアピールできるというわけでもないけど、実際の私は、体を動かすことがすごく大好きなんです。

か弱い美少女??

僕なんかも、このエッセイを読むまでは、書かれている通り「か弱そうで、線の細い美少女」って思ってましたよ。さすがに、「薄幸」とまでは思わなかったけど。彼女が割と裕福なご家庭の出だということは知っていたのでね。

タイトルの由来

エッセイの「夢みるころを過ぎても」というタイトルは、彼女自身が作詞・作曲した曲「夢見る頃を過ぎても」から取られています。この曲は、彼女の9thアルバム「満天の星」(1993/7)に収録されています。歌詞の一部には、「夢見る頃を過ぎても、変わらないものがある」というフレーズが含まれています。時間が経っても変わらないもの、例えば友情や愛情などの大切さを歌っています。
 

30歳の岡村孝子

このエッセイは、30歳の時に岡村孝子が語ったことを、小貫信昭がまとめたものです。彼は、本を作成するにあたり、彼女の語ったことを、ほとんどそのまま収録したと「あとがき」に書いていますので、当時の彼女を知るには貴重な本です。そして、当時の彼女が、現在にもつながっているわけですね。これからも、このエッセイからわかる岡村孝子さんを紹介していきます。