ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

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松山千春 「足寄より」 北海道に生きるフォークシンガーの誕生② 反骨精神の中高生時代

小学6年で岡林信康のプロテストフォークを生で聴き、衝撃を受けた千春。
中学・高校はどうなるでしょうか? 松山千春の自伝「足寄よりの引用とまとめです。

前回の話はこちら

 

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足寄中学校時代

岡林信康さんの影響は、中学生になると同時に、モロに出てきた』


と千春は書いています。生徒会長をやりながら、かなり批判的な論調で弁論大会に出たことも詳細に述べられています。コンサートやテレビでも千春のしゃべりはおもしろいだけでなく、説得力があります。その片鱗は、中学時代にすでに見られていました。少し引用してみます。

 
『弁論大会があった。俺は出る予定じゃなかったけど、
「飛び入りでやるからな。応援しろ」友だちにふれてまわった。
「おお、やれ、やれ」で飛び入りしたわけ。
 題は《生活常規に思う》。
 最初は比較的まとも。
「義務教育とはなんだ。それは義務であると同時に、権利でもある。
 われわれを規則で縛りつけるのが、義務教育か。
 三年かかって、われわれの能力を伸ばしていくのが義務教育ではないか」』

 

中学生とは思えない、堂々とした弁論です。ただ、この後がすごい!
 
『やっているうちにだんだん腹が立ってきて、後半はシッチャカメッチャカ。
「だいたい校長はスケベだ。女子のスカートをまくって、ニヤニヤしてる。それでも教育者か」そんなことまで口走っちゃった。
しかし、わからないもんだ。これで優勝。
 
このあと、千春は校内だけでなく、帯広の大会でも優勝。
さすが、校長の話は校外では口外しなかったようですが。
しかし、千春の弁論もすごいが、とんでもない校長先生がいたものです。
 

足寄高校時代

千春は文化祭の前夜祭で岡林信康の「私たちの望むものは」を歌い、大喝采を浴びます。この時初めて、フォークを歌って喝采を浴びる魅力を味わいます。千春は加川良岡林信康のようなプロテスト・フォークを好んでいましたが、当時は吉田拓郎が台頭してくる時期。高校でも拓郎派が強い。それゆえに、千春は拓郎を認めているものの「嫌いだ」と公言しています。まあ、そこまで好き嫌いを言わなくてもと思うのですが、この高校時代の記述では、そのあたりの理由がもう少し詳しく語られています。