ふきんとうだより

ふきのとう、フォーク、宮沢賢治、石川優子についてつらつら語ります

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なぎら健壱さんが名曲遺産でフォークを語る④

今回は、なぎら健壱さんが名曲遺産でフォークを語るの4回目です。

演歌の由来

話がなぜか演歌の由来に向かいます。
演歌というと、北島三郎さんとか八代亜紀さんとか、その辺を皆さん思い浮かべると思いますけれども、元々は違いますね。演歌と言い始めたのは、そんな昔のことじゃありません。あれは、歌謡曲、はやり歌といわなきゃいけないんです。艶歌と書いて「えんか」と読ませるならいいんですけども。元々は明治の頃に、自由民権運動というのが起こりまして、アジ演説をするんです。道端でね。書生たちが学生が明治政府を倒せ!なんて言うと捕まっちゃうんです。そばで、楽器を弾いて歌ってる人は捕まらないんですね。なんだこりゃっていうんで、我々のアジ演説を歌にしてしまえっていうことになるんです。自分たちの気持ちを歌にして、それを見ている人が演説の歌だから演歌だな、って言ったんですよ。ええ、そこから演歌という言葉が出たんです。だから今は使い方を間違えたんですね。その詞を高田渡さんは歌にしてるんですよ。今の歌(しらみの旅)もそうなんですね、アメリカの曲に乗っけてんですよ。これは高田さんの生涯の形になりまして、90%そういう作り方をします。まあその辺の詳しい話は私、「高田渡に会いに行く」って本を出しましたもので、それを読んでいただければいいと思います。

 

カレッジフォークからプロテストソングへ

先ほど言った「フォークソングの夕べ」と言うコンサートにまいりまして。でええ、それまでは割合ちょっとカレッジフォークみたいな方向、私も歌っておりました。どちらかというときれいなねえ、優しいあなたのそばにいて、一日中ええお話して欲しいとかね。そういうのを歌ってましたよ。うん、他には、海は素敵だな。恋してるからさ。とか、やっぱりどちらかって言うと甘い歌ね。有名なところでは「小さな日記」かな。あとは「白いブランコ」ですね。ひどいブランコじゃないですよ。白いブランコですね。ええ、こういう歌をそれまで歌ってたんですが、私がそのコンサートを聴きに行ってからは、もうやめちゃって途端にそういういわゆるプロテストソングみたいになっちゃったんですよ。そのコンサートにもうひとグループ出ておりました。

 

五つの赤い風船

これがですね。「五つの赤い風船」。最初聞いた時に、なんだこのバンドの名前はと思ったんですね。五つの赤い風船? あの、もうちょっといいバンドの名前があるんじゃないの?なんてことを思いましたけどもね。しかも4人でやってましてね、五つじゃねえなと。元々は5人いたらしいんですけどね。やっぱりちょっとフォークと違ってましたね。ええ、六角さんも言ってましたけど、黒い上下の衣装で、そのボスの西岡たかしさんっていう方はね。で、サングラスで黒いサングラスでええ口ひげを生やして、これでロングヘアーというどっちかって言うジャズとかロックの形だったんですね。で、なんだろうな。聴くと歌う歌は全部ちょっと良いんですよ。もうちょっとメルヘンチックでもあるし、ただその中に反戦とかを盛り込んでんですね、これ面白いなあと思って聴きました。ですから、そのフォークソングの夕べには、高石ともやさんの他に、岡林信康さん、名前も知らなかった高田渡さん、そしてこの五つの赤い風船が出てるんですね。