ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

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石川優子 若い時のエッセイ「夢色気流」を読んでみた ② 音楽や人との出会い

石川優子さんが23歳の時に書いたエッセイ「夢色気流」
前回は、その本の紹介と「幼い日々」でした。

 

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今回は、その続きで「石川優子音楽、そして人との出会い」です。

石川優子と音楽の出会い

小学校4年生から始めた合唱

石川優子さんが、音楽を本格的に始めたのは、小学校4年生の時。歌うことが好きだったので、守口市少年少女合唱団のオーディションを受けました。合格して毎週土曜日に練習に通い始め、7年続けました。なかなか厳しい合唱団でだったようですが、そこで彼女の音楽の基礎が培われたのでしょう。その後、中学3年の時ギターを始めました。そして自分で作詞・作曲もするようになるのですが、プロ歌手になったあと、ピアノをやっておけばよかったと後悔しています。その部分を少し見てみましょう。
「このなに気なく始めたギターや、作家活動が、まさか将来の自分にかかわってくるなんて夢にも思ってもみなかったのだから、人生っておもしろいものですね。それがわかっていたら、もう少しどん欲になって、いろんなことをやっておくんだった・・・・。そう、たとえばピアノとかね。いまは、何とかコードを押さえて、弾きながら歌ったりもするけど、私の唯一の後悔というのは、ピアノを習っておけばよかったなぁ、っていうこと。」 - 夢色気流 p50より

ピアノを弾く女性
まあ、コードを押さえながらのピアノ弾き語りが出来るようになっているので、それなりのレベルに達しているわけですが、基礎からしっかりやっておけばよかったなと思っていた訳ですね。

石川優子高校三年生のときに聴いていたのは「かぐや姫

高校に入って一年生の時に「スリーピー」という女の子二人のグループを結成しました。文化祭などに出演していましたが、二年生の時に解散。その後、三年生の時に、親友のNさんや他の仲間とともに「ファンタスティック」というバンドを結成しました。そのNさんが、石川優子の進んでいく道を照らす重要な役割を果たすようになります。さて、その頃のことを優子さんは次のように書いています。
「そのころ、私はフォークグループの『かぐや姫』が大好きで、聴く音楽かぐや姫、歌う歌はかぐや姫、作る歌はかぐや姫風で、それ一辺倒だったのです」 - 夢色気流 p53より
1958年生まれの優子さん、高校3年生というと1975,76年ですが、ちょうど『かぐや姫』が解散する頃です。73-75にかけて、「神田川」「赤ちょうちん」「妹」と立て続けにヒットを飛ばしていたので、優子さん、かぐや姫の全盛期と高校時代が重なっています。その頃フォークに夢中になっていたのですね。しかも、かぐや姫一辺倒でした。

石川優子と人の出会い

Nさんが与えた影響

一方のNさんは、『赤い鳥』とか、『オフコース』が大好きで、よく「これいいから聴いてみて」と優子さんに聴かせていました。ヤマハポプコンのことを教えたのもNさん。Nさんはポプコンに出て、プロの歌手になることを目指していたのですが、そのNさんからポプコンを紹介された石川優子さん。その優子さんがポプコンからプロへの道を歩んでいくことになったのです。

Nさんとともにポプコン~プロを目指した青春

Nさんは「絶対ポプコンに出て、プロになりたい」と優子さんに言っていました。一方の優子さんは、「やってみてもいいね」という程度。それはそうでしょう。合唱団に所属して、ある程度歌が歌えるとしても、いきなりプロになろうとは思わないでしょう。でも、不思議なものです。Nさんの熱意に引きずられるようにして、ポプコンに出ることになった優子さんのバンド。何回かは予選落ちでしたが、徐々に闘志を燃やすようになったのです。何度目かの挑戦で、ついに関西大会の決勝まで進みました。そして、プロ歌手を目指して本格的なレッスンを始めたのです。

石川優子の才能を見い出したSさん

その3ヶ月後の1978年10月。優子さんはついにポプコン本選会のステージに立つことになります。その時のことを優子さんはこんな風に記しています。

つま恋ポプコン本選会のステージで、譜面歌手として出場しました。ポプコンには、自作自演の部と、自作の歌を応募して、ほかの人に歌ってもらうという二種類あるのです。 私は、その後者の、楽曲応募の歌を歌う、譜面歌手としての出場だったわけです。 その第十六回のつま恋で注目されていたのは、円広志さんと、大友裕子さんで、私はちょうど、 その二人にはさまれた形になってしまいました。偶然そうなったのですが、悪い言い方をすれば、 息抜き的存在になってしまったのです。ところが、そんなまるで注目されていない私に、ふと、 歌心を感じてくださった方がいました。それが、ラジオシティレコードの専務であるSさんでした。 Sさんと私の運命的な出会い。出会いといっても、私はそんな人がいてくださる事など、その時は夢にも思わなかったわけですが。 最近になって、あのつま恋の時の、私の印象を聞いたのですが、とにかく一生けんめいに歌っている姿、思いっきり歌ってやるゾーというような気迫がとても印象的だったし、ていねいに歌っているのが気に入ったと、言ってくださいました。』 ー 夢色気流 p61より

最初はバンドとしてNさんに押されてポプコンに出場した優子さんでしたが、やはりバンドとしてではなく、ソロ歌手として評価されるようになりました。譜面歌手という他の人が応募した楽曲を本選会で歌うことによって、Sさんの目に留まり、ついにプロデビューに至ったのです。