ふきんとうだより

ふきのとう、フォーク、宮沢賢治、石川優子についてつらつら語ります

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石川優子 若い時のエッセイ「夢色気流」を読んでみた ⑤ 失敗談

石川優子さんが23歳の時に書いたエッセイ「夢色気流」。当時の石川優子さんが、どんなことを考えていたのか、どんな夢を持っていたのか、楽しいエピソードもいろいろ書かれています。そんなエッセイから見た「石川優子」の人となりをまとめているのですが、これまでの内容はこんな感じです。
第一回は、その本の紹介と「幼い日々」

 

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第二回は、「音楽や人との出会い」

 

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第三回は、「ラジオのパーソナリティ」

 

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第四回は、「試行錯誤」

 

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そして今回は、「失敗談」
どんな失敗が飛び出てくるでしょうか。エッセイからそのまま引用してみましょう。

石川優子の失敗談

私、失敗談なんて、数えたらきりがないくらい、いっぱいあります。根がおっちょこちょいなものだから。 いちばん大きなドジは、大阪のコンサートの時かな。 ツアーの中日、二日間、大阪の厚生年金 の中ホールでコンサートをやって、その二日目の事。 その時のツアーのステージ装飾は、ステー ジ全体が白と黒のマス目になっていて、ステージの上手と下手に、階段が作ってありました。 コ ンサートの後半で、座って歌う所があって、その段をイス替わりにするために、ちょっと出っぱった階段でした。それが、ドジの根源となったのです。ウェーン。 コンサートの前半で、衣裳チェンジがあり、リズムに合わせて、軽くステップを踏みながら退場する、という場面があったのです。歌もロックンロールだし、乗り乗りに歌って、カッコ良く消えようと思っていたのに、客席を見ながら後向きに下がっていく途中で、その出っぱった階段に、つまずいてしまったの。 後向きだから、階段に気付かなくて、もののみごとにスッテンコロリン。尻もちをついて、両足が上にあがってしまって、ぶざまなカッコウ。それに我を忘れてました。 「キャッ」なんて叫んじゃったりして、恥ずかしかったなぁ。 でも、その時は緊張しているし、すぐに着がえなければいけないので、恥ずかしさをかみしめてる時間がなかったのだけど、後から思い出すと、思わず顔をおおってしまう。おもしろいカッコしてコケてしまったなぁ、なんて。ところが、あの時、見ていた人は、誰も笑わなかったの。私、大笑いされるんじゃないかと思っていたのに。それどころか、後から手紙や、ハガキで、「ケガはありませんでしたか」って心配してくれたり、「優子ちゃん特有のドジが出ましたネ。 思わずニヤリとしてしまいました。あんなドジ、平気だからこれからもガンバってネ」なんていう、あったかいことばで、慰めていただききっとあの時、大声で笑う人がいなかったのは、こんなドジな私をハラハラしながらもあったかく見守ってくれてたからなんだなあって、改めて、胸があつくなってしまいました。あの時は、私の初めてのコンサートツアーだったから、みんな、まるで親やスタッフのような気持ちで、うまくできるかなあって、心配してくれてたみたい。ホントに、ハラハラさせる娘でごめんなさい。

むち打ち?

いやいや、確かに恥ずかしい失敗だけど、ひとつ間違えると大けがしたかもしれないということで、みんな心配したのではないでしょうかね。僕もこの記事書きながら、そのあとむち打ちとかにならなかったかなあと心配しております。

彼女の謙虚さ

石川優子さんのエッセイ「夢色気流」を通して、彼女の人生の旅路と成長が見えてきますね。失敗談を通じて、彼女の人間らしさや謙虚さが伝わってくるとともに、ファンの温かさも感じられます。彼女の失敗は、多くの人にとって共感や励ましの源となっています。

読者へのメッセージ

こんな風に、石川優子さんのエッセイ「夢色気流」は、私たちに温かいものを感じさせてくれます。石川優子さんのように、自分自身の「夢色気流」を描いていきましょう。そして、こんなエピソードを少しずつ紹介していきますね