ふきんとうだより

ふきのとう、フォーク、宮沢賢治、石川優子についてつらつら語ります

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石川優子 若い時のエッセイ「夢色気流」を読んでみた ③ ラジオのパーソナリティ

石川優子さんが23歳の時に書いたエッセイ「夢色気流」
第一回は、その本の紹介と「幼い日々」でした。

 

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そして第二回は、「音楽や人との出会い」

 

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今回は、「ラジオのパーソナリティ」です。
彼女が、ラジオのパーソナリティとして最後に登場したのは、2021年12月のNHK-FM Radio 80,90。それ以来、出演は確認されておりません。その時の模様は、こちらの記事にまとめていますが、声も語りも健在。これからもぜひラジオのパーソナリティとして出演していただきたいなあと思っております。

 

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23歳の石川優子にとってのラジオのパーソナリティ

さて、そんな石川優子さん。23歳の時は、ラジオのパーソナリティについてどんなことを考えていたのでしょうか。少しエッセイ「夢色気流」から引用してみましょう。

『ラジオの深夜放送を聴き出したのは、小学校五年生の時でした。カゼで学校を休んだ時、昼の間中、ずっと寝ていたので、夜、眠れなくて、何となくトランジスターを聴いたのが最初です』

 

偶然とは言え、小学校五年生で深夜放送は、何かおませな子ですねえ。トランジスターって、最近の人には、わからないかもしれませんね。トランジスターラジオのことです。今は、インターネットで聴く人が多くなっていますが、今でも単体で売っている小型のラジオはトランジスターラジオです。石川優子さんは、そのラジオで楽しいおしゃべりと音楽を聴いているうちに、自分でもやってみたいと思うようになったのでした。

オレンジ通り五番街

『私がいちばん最初にパーソナリティをやったのは、文化放送の「オレンジ通り五番街」という番組で、デビューするひと月前でした。その時は、深夜放送ではなかったけど、何しろそれが、ラジオのマイクに向かっておしゃべりをする初めての経験だったのです』

 

石川優子さん、何と歌手デビューの前に、ラジオのパーソナリティをしておられたのですね。どおりで、上手な訳です。しかも当時の相方が、みのもんた、梶原茂といった文化放送のアナウンサー(当時)、しゃべりのプロという人たちですから、相当の刺激を受けたに違いありません。毎日が楽しくて楽しくて仕方なかったそうです。番組改編のためひと月だけでしたが、ラジオのとりことなり、大阪MBSの深夜放送「ヤングタウン」木曜日のアシスタントに抜擢されたのです。