ふきんとうだより

ふきのとう、フォーク、宮沢賢治、石川優子についてつらつら語ります

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「虔十公園林」 あらすじと宮沢賢治が伝えたいこと

「虔十公園林」とは

宮沢賢治作 1934年(昭和9年賢治の亡くなった翌年に発表されました。
教科書にも載せられている短編児童小説です。ふつうは童話として紹介されているのですが、原文にはなかなか難しい語や表現も含まれていて、単に子供向けの教訓的なお話とは言えません。むしろ、宮沢賢治の生き様、理想、信仰が凝縮されている作品でしょう。大人にもぜひ読んでほしい作品です。親子で読むのもいいですね。

あらすじ

虔十(けんじゅう)は少し知恵の遅れた子で、いつも笑っている様子を他の子供たちから笑われています。でも、わがままも言わず、お父さん、お母さんから言いつけられれば、一生懸命働きます。
ある日、虔十は「杉の苗を700本、買ってほしい」とお母さんに頼みます。それを聞いていたお父さんは「虔十は、今まで何か買ってくれと言ったことなどないのだから、買ってやれ」と言います。虔十は兄さんと一緒に苗を植えます。まっすぐ、正しい間隔で植えていきます。近所に住む平二はいやな男です。虔十の杉で自分の畑の日当たりが悪くなると文句を言います。別の人が虔十にふざけて枝打ちをするように勧めます。虔十は一生懸命下枝を払い落とします。それは必要のないことでしたが、兄さんは「いい薪がたくさんできたし、林も立派になった」とほめます。きれいになった杉林には、次の日から子供たちが遊びに来るようになります。虔十は雨の日でもその林の外に立って見守っています。
平二がまたやって来ます。今度は「杉の木を伐れ」と脅しつけます。虔十は「伐らない」ときっぱり言います。それは虔十の生涯たった一度の逆らいの言葉でした。怒った平二は虔十を殴りつけます。その後、平二はチフスで死にます。何と虔十も10日後に同じ病気で亡くなります。

 

 
 
翌年、その村に鉄道が通り、にぎやかな町になります。でも虔十の林だけはそのままです。すぐ近くの学校の子供たちは自分たちの運動場だと思い込んで毎日遊びに来ます。虔十の死後20年たちます。その村出身の博士が帰郷します。博士は林が昔のままなのに驚きます。そして、虔十の家族がこの林は虔十のたった一つの形見だからとそのままにしていることを聞きます。博士は虔十のことを思い出し「全くたれがかしこくたれが賢くないか、わかりません。ここに『虔十公園林』と名を付けて、いつまでも保存しては」と提案します。虔十の家族はよろこんで泣きます。虔十の作った杉林は、雨の日は透きとおる雫を落とし、晴れた日は奇麗な空気を吐き出し続けるのです

杉林

賢治の伝えたかったこと

このあらすじをまとめるだけで、何か胸にこみあげるものがありました。知恵遅れの虔十をからかう子供たちには悪意はありませんが、虔十の持っている透き通った純粋な心はわからないのです。でも虔十の亡くなった後も、杉林は残り、子供たちに力や笑いを与えています。つまり「だれが賢く、だれが賢くないのか」はだれにもわからないのです。
「表面的なことで人を評価することなど誰にもできない、ただ自然と共に生きよう。それだけがわたしたちを本当の意味で生かしてくれる」
賢治の伝えたかったことは、きっとそういうことでしょう。
 
作品をお読みになりたい方はこちらからどうぞ

図書カード:虔十公園林

「虔十公園林」で使われている語句の解説はこちら

 

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宮沢賢治のほかの作品については、こちらにまとめています。

 

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