昭和天皇による玉音放送
1945年(昭和20年)8月15日は、日本にとって非常に重要な日でした。この日は、昭和天皇による玉音放送が行われ、日本が第二次世界大戦での敗戦を受け入れることが国民に伝えられたのです。以下に、その日の出来事を時系列でまとめました。
その日の出来事
午前0時過ぎ: 日本政府は、ポツダム宣言の受諾を正式に決定しました。
午前8時: 日本政府は、ポツダム宣言の受諾を海外向けのラジオ放送で発表しました。
午後2時: 軍部内での混乱が続き、一部の将校が徹底抗戦を主張しました。
午後3時: 各地で戦争終結を祝う人々が現れ始めましたが、同時に戦争の被害に対する悲しみも広がりました。
午後4時: 一部の地域では、戦争終結を受け入れられない軍人たちによる反乱が発生しました。
午後5時: 政府は、全国に向けて戦争終結に伴う指示を発表しました。
午後6時以降: 各地で追悼行事や平和を祈る集会が行われました。
この日は、日本にとって戦争に敗れて終結したことと新たな時代の始まりを象徴する日となりました。
玉音放送全文の現代語訳
玉音放送で昭和天皇がされた宣言は、『大東亜戦争終結ノ詔書』(だいとうあせんそうしゅうけつノしょうしょ)は「終戦詔書」(しゅうせんしょうしょ)とも呼ばれ、天皇大権に基づいてポツダム宣言を受諾する勅旨を国民に宣布するものでした。とても難解な漢語を含んでいるため、以下に現代語訳を記します。
私は、深く世界の情勢と日本の現状について考え、非常の措置によって今の局面を収拾しようと思い、ここに忠義で善良なあなた方国民に伝える。そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、全ての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、正に日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すような事は、元より私の本意ではない。しかしながら、交戦状態も既に4年を経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。それ所か、敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、更には人類の文明をも破滅させるに違いない。そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)に詫びることができようか。これこそが私が日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。日本国民であって戦場で没し、職責の為に亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。更に、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。考えて見れば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。然し、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いを堪え、永遠に続く未来の為に平和な世を切り開こうと思う。私は、ここにこうして、この国の形を維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごす事ができる。感情の高ぶりから節度なく争い事を繰り返したり、或は仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、その為に人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒める所である。 正に国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動して欲しい。御名御璽昭和二十年八月十四日
“玉音放送の全文 現代語訳及び英文 Imperial Rescript on Surrender”. 加藤恕(ひろし)のバードビュー(Bird's eye view) (2015年8月14日). 2019年11月2日時点のオリジナルよりアーカイブ