ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

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太田奈名子さんが語る 「戦争の記憶の継承」② 「姐さん」と「姉さん」の邂逅

前回は、太田さんがNHKアーカイブス音源の「姐さんの言葉」から受けた衝撃でした。今回は、姐さんと姉さんの邂逅です。
〈邂逅とは、「思いがけず巡りあう事、偶然の出会い」のことです〉

 

fukinto.com

 

「姐さん」と「姉さん」の邂逅

(田中) ここまで太田さんとアーカイブスに残された肉声との出会いについて伺いました。後半、今そしてこれからのメディアのあり方について考えたいと思います。太田さん、あの姐さんの声に出会うまで、戦争は少し遠い存在だった。ということですけれども、今ご自身にとって戦争とはどういうものだと受け止めていらっしゃいますか?

 

(太田) はい、一言で申し上げますと、わたくしにとって戦争とは、もっともっと他者に触れたいっていう風に思える原動力かなっていうふうに思っています。いくら近づいても、どんな資料を読んで近づこうとしても、戦争っていうのは私にとってはわかり得ないものなんですね。しかし、わたくしの世代は、祖父母があの戦争に、直接的な被害を受けている世代です。わたくしも実はこの音源にめぐり逢う前に、20歳の時に小学校からの友人と、広島の平和記念資料館を訪れまして、語り部の方に、そこでお会いしているんですね。本当にその日も暑い日で、もう資料館を見終わって外に出た時に、たまたまガイドの方が、「あっ語り部の方がいらっしゃるよ。有名な方だから、ぜひお話をお聞きしたら」なんて言って。原爆で背中に大きなケロイドの跡がある方で、それを見せてくださって、「アメリカが今でも憎い」とおっしゃったんですね。そのときに、「ところでお姉さん、今何してるの?夏休み?」なんて言われた時に、アメリカに留学してるってことが、私言えなくて。なんか、その時の不誠実さみたいな・・・〈声をつまらせながら〉・・・私なりの戦争責任が発生して、ずっと長いこと忘れてたんですけど、姐さんの音源がそれをいい形でよみがえらせてくれて、噴き出させてくれて、そうした個人的な出会いを通じてしか、結局戦争というものには出会えないのかもしれないです。でもあの姐さんの喜び苦しみに、あるいは語り部の方の人生に触れたいっていうふうに目いっぱい努力している時、わたくし自身、あの戦争の体験者・当事者になっているんではないかな。その物事にぶち当たっていく当事者になっているんじゃないかなと思うので。そんな感じです。

 

姉さんは時空を超えた

「お姉さん」と語り部のおじいちゃんに呼び掛けられた時、本当のことを言えなかった太田さん。

広島 原爆ドーム


その「姉さん」が「姐さん」の肉声を聴いたとき、時空を超えて、昭和20年の夏に舞い降りた。でも、その体験の意味、理解は日々変わっていく。だから、太田さんは、今も戦争を通して、自分を見つめているのでしょう。

 

アーカイブスの意義

(田中) ある意味、自分自身にとっての戦争っていうのを、今の若い人も出会っていくしかない、ということでもありますよね。その出会いの場として、NHKなり放送のアーカイブっていうのは、やはり有効だと思われますか?

 

(太田) はい、わたくしの友人にも、小さい子供がいるんですけれども、やはり我々の次の世代っていうのを考えると、実際にあの語り部の方に会うっていうことが、もう現実的に残念ながら難しくなってくる世代だということは、否めない事実だと思います。その時に、私はデジタル邂逅っていう言葉を使ったりしているんですが、NHKアーカイブスというデジタル空間を通じて、戦争の体験者の方に巡り合うことができると。ですので、皆さんもですね。研究者用の学術トライアルでなくても、検索エンジンで【戦争証言 アーカイブス】というふうに検索していただくと、NHKの戦争証言、動画が溜まっているアーカイブスなんかが見られますので。

 

 

音源が聴ける

(田中) はい、私たち日々放送してますけれども、何十年も経ってからどうだったのか、あるいは後世の人に歴史の審判を受けるという意味でも、身の引き締まる思いがしました。太田さん、今朝はどうもありがとうございました。清泉女子大学専任講師の太田菜々子さんに伺いました。太田さんが出演し、今ご紹介したアーカイブスの音源ですとか、その分析について語った番組があります。ラジオ第二アナウンサー百年百話シリーズラジオが伝えた戦争の第4回。8月23日水曜日夜10時から放送する予定です。ぜひお聴きください。

公式サイトには、まだ8/23の告知がありませんが、楽しみですね。

www.nhk.jp