ふきんとうだより

ふきのとう、フォーク、宮沢賢治、石川優子についてつらつら語ります

MENU

太田奈名子さんが語る「戦争の記憶の継承」① 姐さんの言葉

今回はNHK-R1の朝の番組「マイあさ!」のインタビューからです。「ラジオが伝えた戦争〜今、ラジオと戦争を考える意味」というタイトルで、太田奈名子さん(清泉女子大学専任講師、34歳)が、NHKアーカイブスから受けた衝撃と自分にとって戦争とは何かを語っておられます。
 
 

太田奈名子さんの著書『占領期ラジオ放送とマイクの解放』

聞き手は、田中孝宜アナ
(田中) 今朝の『聞きたい』は、戦争の記憶の継承について考えます。今日から8月ですね。一年の中でも、戦争に向き合う機会が増える時期でもあります。戦争の体験者、語り手が少なくなる中、戦争の記憶をどうすれば後世に伝えられるか、まさしく今の時代、大きな課題になっています。今日はNHKに残されているアーカイブス音源との出会いがきっかけで戦争に向き合うようになったという若き研究者にお話を伺います。スタジオにお越しいただいております。清泉女子大学の専任講師太田奈名子さんです。太田さん、おはようございます。(おはようございます。どうぞ宜しくお願いいたします。) お願いします。太田さんは今年、『占領期ラジオ放送とマイクの解放』という著書を出版されました。6月に日本メディア学会の第9回内川義美記念メディア学会賞を受賞してるんですね。で、その本は私の手元に今あるんですけれども、これ500ページを超えるような大著ですよね。簡単に内容をご紹介いただけますか?
 

 

 
 
(太田) 第二次世界大戦後の日本における占領期の初期。年号で言いますと、1945から47年にGHQの指導のもとNHKによって製作されたラジオ番組を研究した学術書です。これまでの研究では、戦中は大本営発表など国策伝達に利用されたラジオが、戦後マイクの解放と呼ばれる改革をへて、国民の声が積極的に取り入れられるようになって、日本の放送は民主化されました。めでたし、めでたしといったように理解されてきたんですね。ただ、国民が実際、何を語っていたんですかというようなリサーチクエスチョンはたてられて来なくて、長いこと不明でありました。なのでもちろん、今生きていらっしゃる語り部の方にですね。証言をお聞きするっていうのも大事だと思ったんですけれども、占領期当時の証言に丁寧に耳を傾けて、本当に日本の民主化が果たされたのかと、民主化の内実を見てみたいなというふうに思ったのが、きっかけでこの本を書きました。
 

 

たしかに、少なくなっている語り部たち、高齢者たちの証言はとても貴重ですが、当時の音源・アーカイブスに焦点を当てると、もっと状況がはっきりしてくるのは確かですね。
 

アーカイブスとの出会い

(田中) 太田さんは今34歳で、戦争にはそれほど関心が無かった7年前に、この本の執筆のきっかけとなったアーカイブ音源、あのNHKの古いインタビューですね。それに出会ったということですけども、これはどういうことなんですか?
 
(太田) 私は高校と大学、アメリカに留学しておりまして、その後、帰国して少し社会人として働いた後に、やはり大学教員になりたいなと思って、日本の大学院に入り直したっていう経緯があるんです。けれども、その時自分のバックグラウンドをぜひ生かして、日本とアメリカの文化の衝突ですとか摩擦ですとかについて、研究したいなって。何かこう、自分しかできないことを果たしたいなっていう風に思っていたときに、このNHK番組アーカイブス学術トライアルというまあ、2010年代から始まった制度を知ることになりました。戦後間もないころですね。アメリカが新しい日本を作ろうっていうふうにしていた時代のラジオ音源を、実際に70年80年の時を超えて聴けるっていうことでとても興奮して、研究に励んでいた頃を思い出します。
 
(田中) その中で衝撃を受けた音声、肉声インタビューがあったということですけれども、これはどういう声だったんですか?

 

姐さんの言葉

(太田) 「マイクの解放」っていう街頭で行った街頭録音、現在の街角インタビューの原点に当たるような番組が占領期すぐ始まりまして、最初は銀座の資生堂前で聴衆を集めて、ショーのようにして街頭録音が行われていました。そうなんですけれども、だんだん番組がマンネリ化してきて。終戦から二年ほど経った1947年の4月にですね。昼の資生堂前の対極にある夜の有楽町。有楽町は、GHQ本部が置かれていた場所だったんですけれども、そこでNHKのアナウンサーが隠しマイクで敢行した街頭録音「青少年の不良化をどうして防ぐか、ガード下の娘たち」という放送回が録音されたんですね。そこで録音された肉声というのは、米兵相手に売春をしていた娘たちに近づいて、彼女たちの生態に迫る。そしてあの青少年の更生を目的に彼女たちの肉声を流すという放送だったんですね。、そういった女性たちを束ねている姐御の姉さん、「姐さん、姐さん」って女の子たちから呼ばれている、当時19歳だった女性がいたんですけれども、彼女にNHKのアナウンサーが、「ここら辺にたむろしている女の子たち、将来の希望なんかないから、ここにたむろして更生出来ないで居るのかね」っていうふうに尋ねたところ、姐さんがそれまで割と淡々とアナウンサーの質問に答えていたんですけれども、声を裏返して「そりゃ人間ですもん、ないってことないでしょ」っていうふうにたしなめる場面があったんですね。ここで、何が彼女にこんなセリフを吐かせてしまったのかな、ということで非常につらく思って、これが私の衝撃を受けた肉声です。
 
(田中) その声を聞いて、衝撃を受けたってことですけども、何が特に、自分の心に伝わってくるものがあったんですか?

 

分からないことが原動力

(太田) 田中キャスターに聞いていただく今も何に涙したのか、ちょっと自分でも言語化するのが難しいところはあるんですけれども。当時、私、修士課程から博士課程に上がるときで27,8だったのかな。今から5,6年前だったんですけれども、まだ院生で、職を得ていない時期だったので「あの子たちだって人間なんだから」って言うふうに言ってのけられる仲間がいるかなとか、希望とか将来って私にあるかなとか、女性の研究者って、日本の近現代史だと多くないので、女一人で頑張ってやっていけるかなとか、今思うとナイーブな悩みだったかなというふうに思うんですけれども。なんか私の女性としての、悩みとか叫びとかっていうのを彼女の叫びに重ねて聴いてしまったのかもしれないなというふうに思っていて。ただあの折りに触れて、あの音源のことを振り返るたびに、なんで衝撃を受けたのかとかなんであの時涙が止まらなかったのかっていうのは、解釈がどんどん変わって。自分でも、きっとずっとこの音源の意味っていうのはわからないと思うんですけれども、分からないからこそ、今日(こんにち)もきょうも含めて、色々な方にお会いできますし、そして私の研究がずっと続いていく。まあ、そうした原動力に分からないってことがなってるんじゃないかなって思います。
 

 

このあと、さらにお話は続いていきます。次回は「太田さんにとっての戦争とは何か?」です。
 
「姐さん」とNHKのアナウンサーの、もう少し詳しいやりとりは、こちらの記事で取り上げられています。
 
心を揺さぶられる研究
この時期になると毎年、戦争の記憶をたどる特番や特集が多くのメディアで取り上げられます。それはそれで、意味があるのですが、当時メディアは何を伝えていたのか、人々は何を語っていたのかをアーカイブスから探っていく。とても意義深い研究です。きっと、多くの人の心を揺さぶることでしょう。わたしも、この時期自分にとっての歴史をもっと深く考えてみます。