作家をやめた百田尚樹さんはYouTuber
百田尚樹さんと言えば、やはり『永遠のゼロ』が有名でしょうかね。流行作家だったと言っていいでしょう。「だった」というのは、ご本人が、「自分はもう作家はやめました。今は、YouTuberと呼んで下さい」、と繰り返し言っているからです。最近では、YouTubeでライブをしながら、新党を結成してしまいました。僕は、百田さんの主義主張に同調しているわけではなく、(特に反対しているわけでもない)人を引き付ける話し方、話術を高く評価しているのです。だから、書いたものも、面白いし引き込む力があります。
藤井聡太名人は読んでいた
将棋界の「若き帝王」藤井聡太竜王名人は、小学4年生の時点ですでに、百田さんの作品を読んでいたのですよ。
しかも、最近読んだ本の中で一番面白かったのは「百田尚樹の『海賊と呼ばれた男』ですと、文集に書いたのですから間違いありません。あの「名人をこす」という目標が書かれていたのと同じページにです。
「名人をこす」についてはこちらの記事もご覧ください。
だから何?と言われそうですが、藤井聡太名人が読んで「一番面白かった」というのなら、きっと面白いに違いない、とそう思うわけです。ですから、今のところ百田さんの作品は読んだことはありませんが、近々読みたいものです。さて、そんな百田尚樹さんが、ご自分のYouTubeチャンネルで、忘れて欲しくない歴史上の出来事を興味深く語っておられました。それが1945年8月9日深夜から翌日にかけて行われた「御前会議」です。
葬り去られた物語
この8.9「御前会議」はなぜ重要なのか? 簡単に言うと、その会議で、日本は無条件で降伏する=敗戦を受け入れることが正式に決まったからなのです。では、この出来事について百田さんの語りを文字にしてみましょう。
この日(8/9)は広島についで二発目の原子爆弾が長崎に落とされた大事な日ですが、実はそれだけじゃないんですね。実はその日、すごく重要なことがその夜にありました。しかしながら、なぜかこのことは歴史の教科書、あるいは教科書、そういうものには一切のってません。また、こういうことは、戦後のあるいは戦争のいろんな記述、そういう本にも書かれてないんですね。ですから、多くの日本人にとってはもう完全に忘れ去られた物語。あるいは、葬り去られた物語ともいえる出来事なんです。まあちょっと今日はその話をします。改めてその時を言いますね。ええ、今から78年前です。昭和20年、西暦で言いますと1945年です。8月の9日、時刻は23時50分。その11時50分からですね。日付が変わって午前2時過ぎにかけてこのドラマが起こります。これは大変なドラマです。このことはですね。私のこの『日本国紀』。この本に書かれています。日本国紀の、特にその下巻なんですが、この下巻のページをめくりながら、ちょっと私もお話しさせていただきます。大東亜戦争は3年8ヶ月戦って、そして8月15日に終戦したと、皆さんの記憶にあると思いますが、この終戦がいつになるかっていうのは、厳密には非常に難しいですよね。何をもって、戦争が終わったとされているのか、いわゆるポツダム宣言か、それとも玉音放送によって天皇陛下が国民に戦争が終わったということを伝えた日か? このことによって(ふつうは)8月15日が終戦の日とされています。さて、そのポツダム宣言ですね。これは無条件降伏を日本が受け入れるということです。まあ、これは大変なことですね。
つづく