素朴な温かさを感じる私小説
素朴な温かさを感じる私小説です。
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あらすじ
三浦哲郎自身の経験を基に書かれています。
主人公の「私」は東北出身で東京の私立大学に通っています。寮の近くに「忍ぶ川」という料亭があります。「忍ぶ川」は大衆向けではあるものの、貧乏学生には敷居が高くめったに行けません。その料亭で働いている20歳の女性が志乃(しの)。意を決して訪れた潮田という学生を軽くあしらったことを私は知ります。ある日、私を含む十人くらいの学生が送別会を忍ぶ川で開くことにします。私は志乃に「うんとつめたい水をもってきてくれないか」と声をかけます。志乃は思いのほか、誠実に私に接してくれます。志乃は深川で生まれ育ちますが、戦争で栃木に疎開してから深川を訪れる機会がありません。私は東北から出てきて一年ほどですが、深川には月に2,3度訪れています。それで、ある日私は志乃を深川に連れて行くことになります。小説は、二人が深川に出かける場面から始まります。
主人公の「私」は東北出身で東京の私立大学に通っています。寮の近くに「忍ぶ川」という料亭があります。「忍ぶ川」は大衆向けではあるものの、貧乏学生には敷居が高くめったに行けません。その料亭で働いている20歳の女性が志乃(しの)。意を決して訪れた潮田という学生を軽くあしらったことを私は知ります。ある日、私を含む十人くらいの学生が送別会を忍ぶ川で開くことにします。私は志乃に「うんとつめたい水をもってきてくれないか」と声をかけます。志乃は思いのほか、誠実に私に接してくれます。志乃は深川で生まれ育ちますが、戦争で栃木に疎開してから深川を訪れる機会がありません。私は東北から出てきて一年ほどですが、深川には月に2,3度訪れています。それで、ある日私は志乃を深川に連れて行くことになります。小説は、二人が深川に出かける場面から始まります。
志乃と私はそれぞれの境遇を語ります。二人とも暗い過去を背負って生きて来ました。そして、今もその影響は続いています。そんな二人がどのように結ばれていくのか。二人を取り巻く家族の素朴な温かさが志乃と私を包んでいきます。
見どころ
この作品は情景が丹念に描写されています。同時に話される言葉が素朴で、温かさを感じさせます。やはり、著者が経験したことを切々と書き上げているので、臨場感があります。全体に暗いイメージですが、その中に差し込む一筋の光のようなものが、読者の心をつなぎとめてくれます。どの時代にも通じる男女の恋心、愛情の芽生え、それを育てようとする懸命さが美しく描かれています。
リンク
芥川賞の選評
11人の選考委員全員が賛成しました。何人かの選評の抜粋をご紹介します。
最も高い評価
石川達三がとても高く評価しています。
「推す決心をして委員会に出席した。二度読み返してみて、これを推すことに自信を得た」「何よりも私がこれを推そうと考えたのは、この作品が報告書や作文や記録や日記や、そう云ったかたちのものではなくて、小説の原型とも云うべき正しい形のものであることと、表現の一字一句がまさしく小説であって、それ以外のものではないと云うことであった。」「小説の大きな要素の一つである「美の表現」ということを感覚的に正しく知っている人だと私は信じ得た。」
―最大級の賛辞と言えるでしょう。本作が小説の正しい形であると言っています。「表現の一字一句がまさしく小説」つまり、文章、文体、表現の仕方も小説のお手本であるということです。そして、「美の表現」を正しく知っている人と言われています。志乃の清楚な佇まいやほんのりと香るような魅力を文章だけで、優しく表現していると感じます。
「清純である点に私は心をひかされた。沈痛な感もあるようだ。美しく貧乏することは難しいが、そういう貧乏をまた美しく書いてある」
二番目の評価、最終的に賛成
「読んでいる間は、ホッとした気分だった。神経の行き届いた文章で、安心して物語りについて行くことが出来、美しいと思ったが、芥川賞というものが新風を重んずるとすれば、その点どういうものだろうと発言して、他の委員から余計な心配はいらぬというような言葉でたしなめられた。」
ー「神経の行き届いた文章」でやはり「美しい」と評されています。プロが読んでも、文句のつけようのない文章と言えるでしょう。「芥川賞は新風を重んずる」ということなので、古いスタイルの作品、作家は敬遠される傾向があります。しかし、そんな声をかき消しての受賞ですから立派です。
低い評価、最終的に賛成
「古めかしい感じがし、主人公の恋愛も幼稚であり、書き方も弱弱しくたどたどしいのに、それらが今もてはやされている勢いのよい露骨な主人公が活躍する作品となにもかも違って大へん穏かである、」「私も、芥川賞には該当しないけれど、まずその候補ぐらいなら、と云った」
―表現は辛辣で、あまり好意的ではありませんが、ここまで言っておきながら、最終的には賛成しています。つまり、芥川賞という枠を外してみれば、穏やかな私小説というしっかり完成した作品と認めているとも言えます。