宮沢賢治の最大の理解者であり、温かいまなざしで鑑賞した草野心平。彼の著書「宮沢賢治覚書」を読むと、心平がどれほど深く賢治の作品を読み込んでいたか、その良さをどれほどの熱意で人々に知らせようとしていたのかがわかります。
①と②の内容
これまでの内容は、
②「神武以来曾つてない」という評価
でした。今回は、その③「心象スケッチ」です。
心象スケッチとしての詩と童話
多分大正14年、私が最初にもらった手紙の中で賢治は次のように書いている。「・・・私は詩人としては自信がありませんが1個のサイエンティストとしてだけは認めていただきたいと思ひます・・・」賢治は自らを詩人とは言わずに「心象スケッチ屋」などといっていたことは書簡集でも分かるが、それらのことを私はむしろ素直に受取りたい。
賢治は、自分の詩を「心象スケッチ」と見なしていました。そして、童話も同じように「心象スケッチの一部である」と考えていました。
心象スケッチとはどういうことなのか
この「心象スケッチ」とはどういう意味なのでしょうか。草野心平はこう解釈しています。
構成材料として提出した一聯の物語は「多少の再度の内省と分析とはあっても」物語のテーマそのものはその通りに彼の内部に現われたものである。それは意識の構成ではなく自然の発生であった。
つまり、賢治の詩であれ、物語であれ、そこで語られているテーマは、賢治が作り上げたものではなく、心に現われたものを素直に、そのまま書き取っているということです。
確かに、賢治の詩や童話は、読者がよく分かるようにと推敲されてはいないため、難解です。ましてや、年少の読者がよく分かるような表現ではないのです。弱い者に対する温かいまなざしという大きな流れはとても分かりやすいのですが、それを説明する細部が難解。賢治の心に浮かんだものをスケッチしたのであれば、やむを得ないことでしょう。