宮沢賢治の童話集『注文の多い料理店』には、序が付いていて、そこからも賢治の伝えたかったことが読み取れます。
序
『注文の多い料理店』単品ではなく、童話集全体の序は以下の通りです。
わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。またわたくしは、はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野はらや鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。ほんとうに、かしわばやしの青い夕方を、ひとりで通りかかったり、十一月の山の風のなかに、ふるえながら立ったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということを、わたくしはそのとおり書いたまでです。ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところは、わたくしにもまた、わけがわからないのです。けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。大正十二年十二月二十日(太文字は本サイトによる)
「ほんとうのたべもの」とは
宮沢賢治は、この童話集の物語がいくらかでも、読者の「透き通った本当の食べ物」になればよいと書いています。これはどういう意味なのでしょうか。賢治は冒頭で「きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。・・・はたけや森の中で、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。わたくしは、そういうきれいなたべものやきものをすきです。」と述べています。風、光を受けることこそが「透き通った本当の食べ物」であり、ぼろぼろの着物でさえもきらきら光る宝石入りの着物に変えてしまう畑や森も、その本当の食べ物を生み出しているのでしょう。
宮沢賢治の願い
賢治は、神様が与えられたままの風や光を愛し、その恵みである畑や森を愛していました。そのような自然を愛し、慈しむ心を大切にしたかったに違いありません。それで、童話集『注文の多い料理店』を読んで、そのような心を育ててほしいと願っているのです。「すきとおったほんとうのたべもの」である物語を食べることによって。