ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

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ふきのとうと「呑み鉄」

六角精児さんが、ふきのとうの歌い方に誠実さを感じるというあたりを、前回お話しました。
今回は、その続きで「呑み鉄」についてです。まずは、六角さんの話はこんな感じです。(一部、吾妻アナも話しているのですが、まとめてあります)

座席に忘れられたウィスキー

『ふきのとう「夜」お送りいたしました。うん、誠実な感じ。なんか、やっぱりこの歌い方にあるのかなって、思ったんです。でも、この中にね、「ウィスキーが夜汽車に忘れられている」というなんか《呑み鉄》っぽいのが出てましたね。「だれが忘れたのか ウィスキーひとつ 夜汽車に揺られて」ね。今はまあ、そこまででもないんでしょうけど、むかしは対面式のシートがやっぱり普通だったわけじゃないですか。そうなると、そこで時間をどうやって潰すかっていうこともあっただろうし、目的地に行く時にやっぱり一杯、ポケットびんとかでね、やる人も多かったんだろうね。「タバコの煙に目をしばつかせ」対面のシートのところに灰皿もありましたもんね。窓の下かなんかにね。今も残ってるのあるんですけど、キハの40だとかね。だけど、跡しか残ってないんですね。ここにあったんだなって、分かる人は見ればあれですけど、取り外した跡がね。まあ、楽しいですね。やっぱり邦楽の鉄道ソングと言うのはね。歌詞がこう身に沁みるところが楽しいですね。うん、洋楽だとね。英語がわかって聴いていなければね、その世界が理解できなくてサウンド中心ですからね。』

 

六角さんはテレビでも「呑み鉄」の旅をされていますので、夜汽車にウィスキーというあたりに反応していましたね。ちなみに「呑み鉄」というのは、「酒を飲みながら、列車旅を楽しむ」ということで鉄道ファンにしかわからないんじゃないかな。「乗り鉄」とか「撮り鉄」とかは、何となくわかりますがね。

夜行列車の思い出

最近はめったに鉄道の旅をしないのですが、子供の頃は大好きでしたね。今も、もちろん好きですが、なかなか旅そのものに行く機会がないのが残念です。

夜汽車と言えば、一度だけお金を節約しようと、仙台から上野までの夜行列車に乗ったことがあります。大学生の頃なので、今からかれこれ40年近く前の話です。当時は、長距離の移動には新幹線を使っていたのですが、その時だけ、常磐本線経由の夜行列車に乗りました。六角さんが言うような、対面式のシートでしたね。当時、若くて元気いっぱいだった僕は、慣れていなかったからでしょうか。一睡も出来ずに、上野に着いたのを思い出します。お金を節約できても、一睡もできないのはきつかったです。ウィスキーはさすがに飲みませんでした。今なら、すぐに寝られそうです。

対面シート

確かに、吸い殻入れありましたね。当時は、列車内でも、ホームでもたばこを吸っている人がたくさんいました。ついでに、ホームに痰ツボなんて言うのもありましてね。山木さんが、コンサートで痰ツボの話をぼそぼそとしていたことを思い出します。

コンサートと言えば、ふきのとうのコンサートには2回行きました。コンサートも誠実そのものです。何よりも観客が静かで、羽目を外したりしない。アイドルとかロックがあまり好きではなかったフォーク少年にとっては、至福の時でした。もう一度、山木さん、細坪さんが一緒に歌うことはないのでしょうか。