ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

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中原誠十六世名人の自然流から学ぶ 振り飛車を連採して相手の得意な形をはずす

中原誠十六世名人のプロフィール

 
中原誠十六世名人は、1947年鳥取県生まれ。生後一ヶ月で宮城県塩竈市に移転したため宮城県出身将棋棋士です。現在76歳。すでに現役を引退していますが、全盛期には、名人を含む五冠を獲得しました。当時は居飛車党のトップと見られ、攻め受けのバランスが取れた自然流という棋風で「棋界の太陽」とも呼ばれて人気を博しました。「将棋界の長嶋茂雄」のような存在と言ってもいいかもしれません。
獲得した五冠は、名人、王将、王座、十段、棋聖のタイトル。残る棋王も1979年に獲得しましたが、その時には他のタイトルを失っていたため、六冠には至りませんでした。1972年と1989年の名人戦で2度名人の座に就き、活躍しました。通算では、名人15期(歴代2位)、通算タイトルは64期(歴代3期)。大山康晴名人の次に将棋界をリードし一時代を築きました。

 

名人戦で大山名人得意の振り飛車を自分が指す

 
1972年の第31期名人戦七番勝負では、中原誠九段(当時)が振り飛車の強豪・大山康晴名人に挑戦しました。大山名人の得意な振り飛車に対し、中原は開幕から居飛車で正面からぶつかる正攻法の戦いを選びます。
しかしながら大山名人の卓越した振り飛車の強さに翻弄されて先手を取られてしまいます。第5局を落とし、このままでは名人防衛されてしまうところでした。
そこで第6局、中原名人は大胆な手を使います。相手の得意な振り飛車を自らも採用。難攻不落の大山を崩すべく奮戦します。相手の得意な形を外したのです。驚くべきことに、中原誠は第七局でも振り飛車を採用。連勝して、4勝3敗で名人の座を奪取しました。大山康晴名人は意表を突かれるとともに、慣れ親しんだ戦型の逆を持たされたことで、勢いを止められたと言えるでしょう。
 

現代の棋士にも応用を

 
この中原誠十六世名人の名人戦での振り飛車を連採は、今の棋士にも示唆に富む作戦と言えます。
例えば藤井聡太八冠の角換わりや相掛かりは、多くの棋士が苦手としています。AIでかなりの変化をマスターしていて、しかも終盤のミスが少ない藤井聡太八冠。居飛車党のトップ棋士たちは、苦戦の連続です。しかし中原名人のように想定外の手を使えば、藤井棋士の得意な戦型を避け、勢いをつけられる可能性があります。ただし、藤井聡太八冠は対振り飛車にも強いので、単に振ればよいというわけではないですが。
いずれにしても固定観念にとらわれず、相手の得意をはずすということも立派な戦術なのです。中原誠十六世名人の柔軟な戦法は意表を突くと言うより、本人にとっては「自然流」だったのかもしれません。現代のトップ棋士たちにも役立つ考え方を提供してくれていると言えるのではないでしょうか。