ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

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石川優子 – NHKFM Radio '80 '90に登場 2021/12/30

石川優子 久しぶりのラジオ・パーソナリティ

石川優子さんは、1990/7に歌手を引退されていますが、いまだに根強い人気を持っています。
2021/12/30に80,90年代を振り返るNHK・FMの特別番組にパーソナリティとして久しぶりに登場。Twitterでは、なつかしいなあというつぶやきが多数聞かれました。

わたしはテレビやラジオで優子さんを見聞きすることは、あまりありませんでした。貸しレコードを借りて来て、カセットテープに吹き込み、繰り返し繰り返し何度も聴いていました。それもだいぶ前のことになりますが、あの弾むような透き通った歌声は今も忘れられません。

そんな優子さんがNHK・FMに出る、それだけで何かうれしくなってしまいました。

今はとても便利になり、ラジオも聴き逃しサービスというものがあります。放送終了後、インターネットでいつでも聴くことができるようになっています。放送もほぼ聴けましたが、もう一度その聴き逃しサービスでしっかり聴いてしまいました。それくらい、30年余りのブランクを感じさせない楽しいプログラムでした。声が若い頃のままですし、優しい話し方はお名前の通りです。

 

駆け抜ける青春

さて、その番組のなかで優子さんが話されていたことを少しご紹介します。

「1979年にデビューした私にとって1980年代といえば駆け抜ける青春でした」

優子さんのプロフィールを見ますと、デビュー当時は21歳です。
1978年にポプコンにバンドで出場するも本選入りは出来ませんでした。しかし、他の人が応募した作品を歌うために本選のステージに立ったのです。そのとき、あるレコード会社の専務さんからほめられたことから、プロとしてデビューすることになります。1979/3のことです。記念すべきデビュー曲は沈丁花(じんちょうげ)」。いい曲ですが、優子さん自身の作ではないので、ご本人としては次にシングルで出した「レット・ミー・フライ」が本当の意味でデビューしたという感じでしょうか。

その後、「クリスタル・モーニング」「シンデレラサマー」と着実にヒットを重ねます。

 

 

シンガーソングライターとしての実力とアイドルのようなかわいさが弾けました。それから11年間、ひたすら歌づくり、レコーディング、コンサートと、片時も歌から離れなかったようです。まさしく「駆け抜ける青春」だったんですね。

そんな優子さんが、音楽以外ではまったものが番組で語られたのですが、それはなんと「プロレス」楽曲や語り口からは想像できないのですが、熱く語っておられました。相当通のようです。

駆け抜けた青春のあとには

年2枚のペースでアルバムを作り、全国ツアーをするという、まさに駆け続けた石川優子さんの80年代。駆け抜けた青春のあとには、何が待っていたのか? 答えは、こちらの記事からどうぞ。

 

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