「二十四の瞳」とは
『二十四の瞳』(にじゅうしのひとみ)は、壺井栄(つぼい さかえ)によって1952年(昭和27年)に発表された小説です。この作品は、戦時中の日本を舞台に、女性教師と12人の生徒たちの交流を描いています。物語は1928年から1946年までの18年間を描いており、戦争の悲惨さや人々の苦難をテーマにしています。
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この小説は、戦後の日本文学において重要な位置を占めており、1954年には映画化もされました。また、テレビドラマやアニメなど、さまざまなメディアで何度も映像化されています。
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壺井栄のプロフィール
壺井栄(つぼい さかえ)は、日本の小説家・詩人で、小説および児童文学(童話)を執筆しました。彼女は1899年8月5日に香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)で生まれ、1967年6月23日に東京都中野区で亡くなりました。
壺井栄は、『二十四の瞳』の作者として有名ですが、『暦』(1940年)、『妻の座』(1947年 - 1949年)、『柿の木のある家』(1949年)、『母のない子と子のない母と』(1951年)などが代表作です。
「二十四の瞳」の主な登場人物
大石久子
主人公。新卒で岬の分教場に赴任してきた教師。昭和3年当時22歳。
男先生 岬の分校で教えている男性教師。
12人の生徒たち
加部小ツル
片桐コトエ
香川マスノ
川本松江 (マッちゃん)
木下富士子
西口ミサ子 (ミイさん)
山石早苗
相沢仁太 (ニタ)
岡田磯吉 (ソンキ)
森岡正 (タンコ)
竹下竹一
徳田吉次 (キッチン)
大石先生の家族
夫
大吉 長男
並木 次男
八津 長女
母
本校の教師たち
「二十四の瞳」のあらすじ
1928年(昭和3年)から1946年(昭和21年)までの18年間を舞台に、瀬戸内海の小さな島の分教場に赴任した女性教師、大石久子(おおいし ひさこ)と彼女の教え子たちの笑いと涙にあふれる物語です。
1928年、女学校を卒業したばかりの大石久子は、小豆島の岬にある分教場に赴任します。彼女は1年生の12人の生徒たちと出会い、彼らの成長を見守りながら教師としての絆を深めていきます。しかし、戦争の影響で彼女の教え子たちは次第に戦争に巻き込まれていきます。
1932年、久子は怪我をして分教場を離れますが、5年生になった教え子たちと本校で再会します。彼らはそれぞれの人生を歩み始めますが、戦争の影響で多くの困難に直面します。1933年、久子は教職を離れます。
1941年、久子は徴兵検査を受ける教え子たちと再会し、戦争の悲惨さを目の当たりにします。1946年、戦争が終わり、久子は再び教壇に立ちますが、彼女の教え子たちの多くは戦争で命を落としています。
物語の最後が、久子と生き残った教え子たちの感動的な場面となっています。
「二十四の瞳」の伝えたいこと
『二十四の瞳』は、単に戦争の悲惨さを描くだけでなく、戦争が人々の生活や心にどのような影響を与えるかを深く掘り下げた作品です。以下に、本作が伝えようとしていることをまとめてみます。
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戦争の悲惨さと無意味さ:
- 壺井栄は、戦争がもたらす悲惨さや無意味さを強調しています。家族と教え子たちが戦争に巻き込まれ、命を落とす様子は、戦争の無情さを強く訴えています。大石久子のセリフや内心の描写にはそれがはっきりと表現されています。
その可憐なうしろ姿の行く手にまちうけているものが、やはり戦争でしかないとすれば、人はなんのために子をうみ、愛し、育てるのだろう。砲弾にうたれ、裂けてくだけて散る人の命というものを、惜しみ悲しみ止どめることが、どうして、してはいけないことなのだろう。治安を維持するとは、人の命を惜しみまもることではなく、人間の精神の自由をさえ、しばるというのか・・・・。
これは、教え子の男の子たちに8年ぶりに会った大石久子が、これから戦地に向かう彼らとわが子を思いながら語る内なる声なのですが、作者である壺井栄の訴えたいことであるに違いありません。
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人間の絆と希望:
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久子と教え子たちの絆は、戦争の中でも失われることなく続いています。戦争が終わった後も、彼らの絆は希望の象徴として描かれています。これは、人間の絆がどんな困難にも耐えうる強さを持っていることを示しています。
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日常の尊さ:
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壺井栄は、戦争によって奪われる日常の尊さを描いています。平和な日常がどれほど貴重であるかを、戦争によって失われたものを通じて読者に伝えています。
不思議な読後感
『二十四の瞳』は、戦争の悲惨さを描きながらも、どこか温かさや希望を感じさせる作品です。これは、壺井栄が人間の強さや絆を描くことで、読者に希望を持たせるからだと思います。戦争の悲惨さを強調しつつも、人間の持つ優しさや強さを描くことで、読後に不思議な感動を与える作品となっています。