ふきんとうだより

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佐々木大地七段 病気を克服 フリークラスからスタートしてタイトル挑戦者に

今、将棋界では「若き帝王」藤井聡太七冠が全冠制覇に向けて疾走中ですが、
それに待ったをかけるかのように、挑戦しているのが、佐々木大地七段!
病気を克服し、フリークラスからはい上がって、タイトル挑戦者に。
それだけでもすごいことですが、佐々木七段は、棋聖・王位と二つのタイトル戦で並行して挑戦しています。そんな佐々木大地七段は、どんな棋士なのでしょうか?
 

佐々木大地七段のプロフィール

佐々木大地七段は、1995年5月30日生まれ、現在28歳。
長崎県対馬市出身。
深浦康市九段門下。〈将棋界では、ブロを目指すには必ずプロ棋士の弟子とならなければなりません。〉
2008年9月、6級で奨励会入り。
2016年(20歳) 三段リーグで次点を2回取り、フリークラスで四段・プロ棋士となりました。
2017年2月には、好成績を挙げて順位戦の参加資格を得ました。

佐々木大地七段の克服した病気とは

佐々木大地七段は、9歳の時に「拡張型心筋症」を発症しました。11歳の時に、深浦九段に入門をお願いして面会していますが、その時も酸素ボンベを携え、鼻にチューブにつないだ状態だったそうです。
 
拡張型心筋症とは
拡張型心筋症とは心臓の筋肉がぺらぺらに薄くなり拡張して収縮力が低下する病気です。収縮力、拡張の程度もさまざまでほとんど症状のないものから、動けないほどの重症なもの、突然死するものまでさまざまです。狭心症心筋梗塞のように冠動脈が詰まったりして心臓の収縮力が低下するものは虚血性心筋症と言います。他に薬剤、糖尿病性、AIDS、アルコールが原因で拡張型心筋症になる場合があります。ウイルス性心筋炎が原因となることもあります。原因のはっきりしない心筋症もあります。
 
症状は
いわゆる典型的な心不全症状が出現します。軽度の場合、動悸、息切れがあり、走ったり階段を上ると息切れ、呼吸困難がある。呼吸がぜいぜいする。咳がでやすい。足がむくむ。などの症状があります。 重症になると、じっとしていても息苦しい。仰向けに寝ることができない。呼吸が荒くなる。チアノーゼがでる等の症状がでて入院が必要となります。(医療法人徳洲会名古屋徳洲会総合病院のサイトより引用)
 
難病にも指定されており、原因はよくわからないようです。しかし、佐々木大地七段は、奇跡的ともいえる回復を遂げ、今はフットサルが出来るほどお元気です。
 
 
 

フリークラスとは

将棋のプロになるには、まずプロの弟子となり、奨励会に入会しなければなりません。そこで対局を重ねて、三段になると、総当たりのリーグ戦になります。そこで上位2名に入ると、晴れてプロの四段となれます。しかし、この制度ですと、実力はあっても2名に入れない者も出るため、救済措置として次点を2回取ったら、フリークラスでの四段昇段が認められています。プロにはなれますが、棋士の順位を決める順位戦には加われないため、フリークラスと呼ばれています。しかし、前述の通り、佐々木大地七段は、わずか10ヶ月で順位戦に加わる好成績をおさめました。
 
詳しくは日本将棋連盟の公式サイトをご覧ください。
 

師匠・深浦康市九段の決意を促したもの

佐々木大地七段は対馬という九州の離島暮らしだったため、将棋大会に出るにも、師匠をさがすのも難しい環境でした。しかも難病を背負っているいうハンディもありました。深浦康市九段は、弟子として受け入れるかだいぶ迷ったようです。決め手は、佐々木一家が、対馬を離れて横浜に移ることを決めたこと。元々深浦九段は、地方の少年たちがプロになるのを助けたいと思っていましたので、病弱ながらも、そこまでしてプロ棋士を目指す佐々木少年を弟子にしようと決意します。そこから、佐々木大地少年の快進撃が始まる訳です。
 

深浦康市九段と佐々木大地七段の温かい師弟関係

深浦康市九段と佐々木大地七段の師弟としての歩み、いろいろなエピソードがあるようです。
 
「師弟 棋士たち 魂の伝承」より、引用します。
 

奨励会入会から 4年後、佐々木は二段のときにスランプに陥り、 降段の一歩手前まで追い込まれてしまった。これまで、降段を経験してプロになれた者はいない。 「あと3敗すると初段に降段というところまできてしまって。本当に苦しくて、どうしたらいいかわからなかった。その ときに師匠から初めて『 将棋を指そう』という連絡をいただきました」 深浦は佐々木を弟子に取るとき「三段までは指さない」と決めていたという。棋譜を送らせての添削指導はするが、それまでは自分で強くなる努力が必要だと考えていた。「師匠から一緒に将棋を指そうと連絡をもらったときは、本当に嬉しかった。常に自分を見てくれているんだな、と思いました。そのときに数局教わってアドバイスをいただきました。 そこから8連勝できたんです。そのおかげで三段に上がれました」 将棋はメンタル的要素が大きいとはいえ、あまりにも劇的な変化である。

詳しく知りたい方には、「師弟 棋士たち 魂の伝承」がおすすめです。ぜひ、お読みください。

 
 

深浦九段は師匠として、バランスの取れた人ですね。実際、師匠でも、実際に将棋を指して教えることはほとんどないと言われていました。入門する時に、棋力を見るために一局。そして、残念ながら、プロになれず断念したら、お別れに一局と言われていたものです。深浦九段も入門を許す前に一局、佐々木少年と指しましたが、「三段になるまでは指さないと決めていた」とあるように、手取り足取り教えたりはせず、まず自力で強くなる努力をするよう促していたことがわかります。

 

つづく