ふきんとうだより

フォーク、藤井聡太、宮沢賢治、佐々木朗希、石川優子についてつらつら語ります

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石川優子 恋愛孤独人について

2021/12 NHK-FM RADIO'80,'90より

もうかれこれ1年近くになりますが、2021/12に石川優子さんがNHK-FMの特集番組にパーソナリティとして出演されました。その最初の部分の要約はすでに記事にしました。
80年代は彼女にとって「駆け抜ける青春だった」というお話です。

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今回はその続きです。

ちょっとちがうと感じ始めた

石川優子さんはこう語っています。

『私はデビューした年(1979)からアルバムを作ってまして、今までに15枚オリジナルアルバムを出したんですけども、大体年2枚のペースでオリジナルアルバムを作っていました。だから、その時はもう本当に猪突猛進っていうのか、何も考えずにただ曲を作っていました。
その成果としてアルバムをレコーディングして、そのレコーディングしたアルバムを引っさげて全国ツアーをする。そういう1年間だったんです。あの80年代、そんな中でも、毎年毎年思い入れが深いアルバムなんですけど、音楽的に色んな事をだんだん気付き始めてきてね。
私の好きなウエストコースト(アメリカ西海岸)のサウンドっていうのを考えてみると、なんか音が違うって感じるようになりました。私も自分のアルバムを作ってる時は、それがベストだと思ってやってるんだけど、こんな感じの音もあるんだっていうのとか、ちょっとディレクターの方と話ししていると、ウエストコーストは空気が乾いてるからね、という感じで言われると、空気が乾いてたら何が違うの?みたいな。


それで ミックスっていうのがあるんですけども、ウエストコーストでミックスをしたい。やっぱり、いろんな人たちのミックスで自分の音楽をやってみたいってのがあって、最初ロスにミックスで出かけました。そのあとで、やっぱり空気が乾いてるからねっていうのを確かめたいじゃないですか。で、ずっと聴いてきた音楽がリンダ・ロンシュタットとかジャクソン・ブラウンとか、すごい大好きだったんですけれども、そういう人たちと一緒にやっているミュージシャンの人たちと私もやりたいと、そういう欲求が出てきました。
それが、あの夢だったんですけれども、1985年に「恋愛孤独人」というアルバムで、それが実現されたんですよね。そのアルバムもそのミュージシャンたちもすごい人たちだったんですが、スティーヴン・スティルスさんがふらっとその隣かな、レコーディングの場所に来てらして、(一緒に)やりたいやりたいって言ってくださったんですよ。で、私のアルバムにギターとコーラスで参加して下さいました。夢みたいでしたよ。なのであの「恋愛孤独人」もし機会がありましたら聴いていただければと思うんです。』

毎年2枚ずつアルバムを出して、全国ツアーに行くというのは当時の歌手、とくにJ-POP(当時はニューミュージックと呼ばれていた)のシンガーソングライターですと、ふつうのペースなんですけど、やはりかなりのエネルギーを要することでしょう。そんな中で、自分が本当に好きな音楽とはちがうという疑問が彼女に芽生えてきたようなのです。