1972年の結成から1992年の解散まで、フォークデュオ「ふきのとう」―山木康世(1950年生まれ)と細坪基佳(1952年生まれ)―は、「白い冬」「初恋」「春雷」などの名曲で多くのファンを魅了しました。しかし、なぜ彼らは解散したのでしょうか。そして、解散後30年以上経っても再結成や共演がないのはなぜでしょうか。この記事では、シリーズの最終章として、ふきのとうの「別れ」の真相に迫ります。
ふきのとうの別れ:解散の原因は音楽の方向性のちがいによる不和
ふきのとうの解散(1992年)は、二人の不和、特に音楽の方向性のちがいが主な原因でした。山木康世は、アマチュア時代から曲作りを担い、細坪基佳の「天使の歌声」と称される高音を活かし、6度低いハーモニーで支えるスタイルをふきのとうの核心と考えていました。しかし、細坪が「初恋」(1978年)などで作詞・作曲・リードボーカルを務めるようになり、自身の表現力を確立。この変化が、山木との間に緊張を生みました。
最初の危機は、1977年のシングル「美しく燃えて」(作詞・作曲・ボーカル:細坪)のリリース時に訪れました。山木はこの状況を振り返り、エッセイの中で次のように語っています:「思い出通り雨」75,76ページより要約
「『美しく燃えて』をシングルで出すことになり、ふきのとうがこの曲で勝負するなら、お互いの存在価値がなくなる気がした。グループでやる意味がない、辞めた方がいいとまで考えた。僕の考えるふきのとうは、リーダーがあってはいけない、お互いに独占しない関係でなければならなかった。」(山木康世、要約)
細坪も当時をこう振り返ります:
「先輩後輩の関係が抜けず、耐えられない時期があった。山木さんが優れた曲を作ることを素直に認められたとき、音楽仲間として敬意を払えばうまくやっていけると気づいた。」(細坪基佳、要約)
この危機は一時的に乗り越えられましたが、1980年代に入ると新たな緊張が生じます。細坪が外部アレンジャー(松井五郎、矢野誠など)を招き、音楽性を進化させようとしたのに対し、山木は従来のスタイルを重視。1987年の両A面シングル「何故 愛は…/緑輝く日々」は、両者の対等な立場を象徴しましたが、関係修復は難しくなり、1992年5月8日の北海道厚生年金会館でのコンサートを最後に解散に至りました。
なぜ再結成や共演がないのか?
解散後、山木と細坪はそれぞれソロ活動を続け、ふきのとうの曲を他のアーティストと歌うことはあっても、ふたりが共演することはありません。多くのファンが再結成を望む中、本人たちにその意向が見られないのです。細坪は「お互いにやり残したことがある」と語り、山木は「現役引退の最後にするかもしれない」と述べています(Wikipedia)。ファンの証言では、山木がコンサートで細坪への不満を匂わせたことがあり、個人的な溝が尾を引いているようです。
ふきのとう再びの可能性は?
2025年8月現在、山木康世(1950年生まれ、75歳)と細坪基佳(1952年生まれ、73歳)は現役で活動中ですが、再結成や共演の兆候はありません。再結成のために残されている時間は少ないですが、ファンは「雪どけ」のような再会の瞬間を願っています。シリーズ①(結成秘話)と②(竹田健二との別れ)で描いた「出会い」と「別れ」を経て、ふきのとうの物語は、解散という「別れ」で終わるのか、それとも新たな章が開くのか。未来に期待を寄せつつ、彼らの音楽が今も心に響くことを再確認します。
シリーズの振り返りとふきのとうの略歴
このシリーズは、ふきのとうの「出会い」と「別れ」をテーマに、以下の物語を描いてきました:
- シリーズ①:1971年10月、北海学園大学のフォークソング研究会で山木康世と細坪基佳が出会い、1972年に「Melody」として活動開始。NHK札幌の番組で「ふきのとう」と命名され、1974年に「白い冬」でデビュー(詳細)。
- シリーズ②:1977年8月27日、重要なサポーター竹田健二が36歳で急逝。1978年の「君をいつまでも忘れない」は彼への追悼曲で、中島みゆきの「ほうせんか」も関連(詳細)。
- シリーズ③:本記事では、1992年の解散と再結成がない理由を、音楽の方向性の不和を中心に考察。
「ふきのとう 出会いと別れ」シリーズはこれで一応終わりですが、彼らの活躍の歴史はほとんど語って来ませんでした。今後は、彼らの活躍と歌の世界を描いていきますので、ご期待ください。

ふきのとうの略歴:
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1971年10月 | 山木康世(1950年生まれ)と細坪基佳(1952年生まれ)が北海学園大学で出会う |
| 1972年 | 「メロディー」として活動開始、後に「ふきのとう」に |
| 1974年 | 「白い冬」でデビュー |
| 1977年8月27日 | 竹田健二急逝 |
| 1992年5月8日 | 北海道厚生年金会館で最後のコンサート、解散 |