こんにちは。1977年の貴重な音楽記事を元にオフコースの「素顔」を辿る旅、4回にわたるこの連載も、いよいよ最終章を迎えました。
これまでの物語では、二人の少年の出会いから、音楽への純粋な情熱、そしてプロの世界の入口で経験した巨大な才能との出会いと、それに伴う葛藤を追ってきました。
▼これまでの物語はこちらから
① 1977年の記事で綴る、二人の少年の物語
② PPMとの出会いが運命を変えた
③ 伝説のバンド「赤い鳥」との邂逅
学生気分のままプロになり、明確な目標も持てずにいた彼らは、長い不遇の時代へと入っていきます。自分たちの音楽は本当に世の中に届くのか。そんな苦悩の中で、彼らはついに大きな「転機」を迎えることになります。
今回は、オフコースがまさに“オフコースになる”ための、最も重要だった瞬間を、音楽評論家・冨澤一誠さんの記事と共に目撃していきましょう。
「ワインの匂い」が僕たちの転機だった
「気分はアマチュア」のままプロになった彼らには、まだどこか「甘え」がありました。その最大の要因は、兄貴分であったシンガー、杉田二郎さんの存在でした。しかし、その杉田さんが活動を休止したことで、彼らは否応なく自立を迫られます。
「ワインの匂い」が僕たちの転機
甘かったといえば甘かった。しかし、そんなオフ・コースも(中略)杉田二郎が突然、1年間ほど山にこもってしまうと聞かされたとき、彼らは初めて「やばい、これはどうにかしなければ……」と思ったという。
このとき、坊チャン的オフ・コースは、初めて現実という壁を知り、目覚めたと、ぼくは思っている。(中略)
純粋に音楽を追求する―――むろんこれは大切なことだ。だが、プロであるからには売れることも必要だ―――オフ・コースは、そのとき初めて気がついた。
(『新譜ジャーナル』1977年掲載「誰も知らなかったオフコースの素顔」より引用)
「売れることも必要だ」。この、プロとしては当たり前の意識が、彼らにとっては初めての「発見」でした。この意識の変化が、彼らの音楽を劇的に変えていきます。その象徴となったのが、1975年に発表されたアルバム『ワインの匂い』と、シングルカットされた『眠れぬ夜』だったのです。
このシングル及びアルバムで、オフ・コースは、軽快で気楽に聞けるポップスになった。それまでのオフ・コースは、難しすぎると言われていた。
「やはり、そうなったのはディレクターのおかげですね。ぼくだったらおそらく自分の曲でも『眠れぬ夜』を没にしていたでしょう。ディレクターは、それを強引にシングルにして、ぼくらを説得しました」(小田)
(同記事より引用)
「難しすぎる」と言われていた音楽から、「軽快で気楽に聞けるポップス」へ。これはオフコースの歴史における最大の方向転換でした。そして、その影には、当時の担当ディレクターであった武藤敏史氏という、もう一人の重要な人物の存在がありました。
小田さん自身が「没にしていた」と語る『眠れぬ夜』の普遍的な魅力をディレクターが見抜き、強引にシングル化したこと。この客観的な視点があったからこそ、オフコースは初めて、自分たちの音楽性を大衆へと接続する道を見つけたのです。『眠れぬ夜』は彼らにとって初のスマッシュヒットとなり、長いトンネルの先に、ようやく一筋の光が見え始めました。
エピローグ:1977年、ブレイク前夜の決意
記事の最後は、この取材が行われた1977年時点での、彼らの決意表明で締めくくられています。それは、かつての「甘え」を完全に断ち切り、自分たちの足で未来を切り拓こうとする、力強い言葉でした。
■エピローグ
「昨年、オフ・コース・カンパニーを作って独立したから、やらねばと思っています。会社を存続させていくためには、ぼくたちがまずハングリーになってやらなければならないと思います」(小田)
(中略)
「ハイ・ファイ・セットには負けたくない。彼らは赤い鳥時代から知っているし、いい仲間だ。だからこそ負けられない」
人前でズバリと言い切れるようになったオフ・コース。
(同記事より引用)
自分たちの会社「オフ・コース・カンパニー」を設立し、経済的にも完全に自立したこと。そして、かつての目標であり、今はライバルとなった「赤い鳥」から生まれたグループ「ハイ・ファイ・セット」への対抗心を隠さなくなったこと。ここにはもう、かつての「坊チャン的」な彼らの姿はありません。
この記事が書かれたわずか2年後の1979年、オフコースはシングル「さよなら」でミリオンセラーを記録し、日本の音楽シーンの頂点へと駆け上がります。この記事の最後の一文は、まさにその輝かしい未来を正確に予見していたかのようです。
まとめ:そして、物語は伝説へ
4回にわたってお届けした、1977年のオフコースの「素顔」を辿る旅は、これにて幕を閉じます。
- 少年時代の運命的な出会いと、音楽への純粋な憧れ。
- 「赤い鳥」との出会いという衝撃と、プロの道への葛藤。
- 長い不遇の時代を経て、『ワインの匂い』で掴んだ大きな転機。
- そして、ブレイク前夜に固めた、揺るぎない覚悟。
この記事で描かれたのは、まさにオフコースという壮大な物語の「序章」でした。彼らの音楽が持つ、ただ美しいだけではない、切なさや痛み、そして強さ。その全てが、この黎明期の体験から生まれてきたことが、お分かりいただけたのではないでしょうか。
この後、オフコースは5人編成となり、数々のヒット曲を生み出す黄金期を迎えます。そして、多くのファンに惜しまれながらも、1989年にその活動に終止符を打ちました。
しかし、物語は終わりません。小田和正さんはソロアーティストとして今なお日本の音楽界の第一線を走り続け、鈴木康博さんもまた、自身の音楽を追求し続けています。あの頃の純粋な情熱は、形を変え、今も私たちの心に新しい音楽を届け続けてくれているのです。
この連載を読んでくださったあなたが、改めてオフコースの曲を聴き返すとき、そのメロディの奥に、二人の少年の姿や、苦悩しながらも前へ進もうとした青年たちの情熱を感じていただけたなら、これ以上に嬉しいことはありません。