『サアカスの馬』のあらまし
昭和30年(1955年)10月に「新潮」に発表された『サアカスの馬』は、安岡章太郎の短編小説です。なお、タイトルは「サーカス」ではなく「サアカス」と表記されています。これは当時の日本語の揺れや、安岡さんの意図的な選択かもしれません。現在は「サーカス」が一般的なので、少し古風に感じる人もいるかもしれません。
この全集に『サアカスの馬』が収められています
『サアカスの馬』のあらすじ
物語の主人公は、何をやってもうまくいかない中学生の「僕」。作中で「ヤスオカ」と呼ばれていますから、作者の少年時代の思い出が投影されているようです。いわゆる私小説というジャンルに属しています。その「僕」は、勉強も運動もダメで、友達にも馴染めず、人好きのしない、どこか投げやりな少年です。そんな「僕」が、靖国神社の春祭りで出会ったのは、痩せこけてみすぼらしいサアカスの馬。肋骨が浮き出るほどやつれてて、まるで自分と同じ「ダメな存在」に見えました。「僕」はその馬のことをいろいろと考えるようになります。その部分を原文から引用します。
「彼は多分、僕のように怠けて何も出来ないものだから、曲馬団の親方にひどく殴られたのだろうか。殴ったあとで親方はきっと、死にそうになった自分の馬を見てビックリしたにちがいない。それで、ああやって殺しもできないで毎年つれてきては、お客の目につかない裏の方へつないで置くのだろう。・・・」
ある日、特に理由もなくサアカス小屋に入って行った「僕」が見たものは・・・馬は「僕」が思っていたような存在じゃなかった。この出会いとうれしい思い違いが、少年の心に生き生きとした怒り、驚き、感動をもたらす物語です。
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教科書の教材として採用
『サアカスの馬』は、その後、中学校の国語教科書に採用され、多くの人に親しまれてきました。昭和30年代以降、成長物語として生徒に共感を呼び、感情移入しやすい内容が評価されたんでしょうか。実はボクも中学時代に教科書で読みましたが、「自分はここまでダメダメじゃないけど、この気持ちわかるなあ」とページをめくっていました。その後高校生になり、しばらく安岡章太郎の作品を読みふけった時期もあるくらいですから、国語の教科書というのは影響力があります。ちなみに先生が「この馬は何を象徴してると思う?」なんて質問してくる定番の教材でもあります。その答えは後で考えてみましょうね。
作者・安岡章太郎について
安岡章太郎は、1920年高知生まれの小説家で、戦後文学を代表する「第三の新人」の一人。結核を患ったり、軍隊生活で挫折を味わったりと、波乱万丈な人生を送りました。1953年に『陰気な愉しみ』と『悪い仲間』で芥川賞を受賞し、注目を浴びます。『サアカスの馬』を書いたのはその2年後。個人的な経験や内面を掘り下げる作風が特徴で、どこか人間臭い視点が読者を引きつけます。2013年に亡くなるまで、エッセイや長編でも活躍した大作家です。
僕のつぶやき (まアいいや、どうだって)
物語の中で、「僕」がよく心の中でつぶやく (まアいいや、どうだって)。 この言葉がかぎとなる文になっています。くやしいとか悲しいとか、ましてや怒りでもなく、このフレーズは、「僕」の投げやりであきらめの気持ちの表れで、どこか自分を慰めるような心の動きを表しています。そして、あのみずぼらしい馬とこの気持ちを共有しているのです。このあたりに安岡さんの、おそらく実話と思われる心の風景がくっきりと描き出されているのです。ただ、単なる心のスケッチではなく、怒り、思い違いから感動に至り、この(まアいいや、どうだって)が、「僕」から飛んで行ってしまうのです。
この作品の味わい
『サアカスの馬』の魅力は、ダメダメな少年が馬を通じて少しだけ前を向く、そのささやかな成長。そして上述のように(まアいいや、どうだって)がなくなっていく過程にあると思います。派手なドラマではないけど、馬の意外な活躍に「僕」が目を覚ます瞬間が爽やか。自分を重ねた馬が実はすごい奴だったって気づくことで、「僕」も明らかに生きる力を得ていくのです。さて、前述の「この馬は何を象徴してると思う?」って質問に戻りますが、よく言われるのは、この馬が「少年自身の可能性」や「見えない強さ」を象徴してるって解釈です。最初はみすぼらしく見えた馬が火の輪をくぐる姿を見て、「僕」は自分の中にも何か隠れた力があるんじゃないかって感じる。あるいは、戦後の日本で傷つきながらも懸命に生きる人々を表してる、なんて読み方もされているようです。安岡さんの淡々としたスケッチのような文体が、逆にその感情の揺れを際立たせてて、読後感がじんわり温かい。教科書っぽいけど、ちゃんと心に残る名作です。ボクとしては「馬が何を象徴しているのか」よりも、(まアいいや、どうだって)が吹き飛ばされていく心の動きに注目したいですね。
読者の皆様へ
さて、ここまで読んでくれたあなたはどう思いましたか? 『サアカスの馬』を読んだことがある人も、初めて知った人も、この少年や馬に何か感じるものがあればぜひ感想を聞かせてください。コメント欄で「自分にもこんな時期あったな」とか「馬のシーンが印象的だった」とか、気軽に教えてくれると嬉しいです。もしこの作品が気になったなら、安岡章太郎の他の作品、例えば『陰気な愉しみ』や『悪い仲間』も読んでみると、彼の人間臭い世界がもっと広がりますよ。戦後文学の「第三の新人」仲間、吉行淳之介や遠藤周作の作品もこの時期ならではの空気感があっておすすめです。本屋さんや図書館で手に取ってみると、新しい発見があるかもしれません。ボクもまた読み返したくなってきたなあ。一緒に楽しんでいきましょう!
